國府臺
大町桂月

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【テキスト中に現れる記号について】

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)唯※[#二の字点、1−2−22]

 [#…]:返り点
 (例)烟分[#二]遠樹[#一]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)見る/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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烟分[#二]遠樹[#一]幾層横。脚下刀河晩忽明。捲[#レ]地風來枯葉走。伯勞吐[#レ]氣一聲々。
[#ここで字下げ終わり]
 苦吟漸く成る。何となく、うれし。ひとりにて飮む酒も、一種の味を生ず。詩は、よかれ、あしかれ、出來れば、うれしき也。苦しめば、苦しむほど、猶ほうれしき也。
 余は、國府臺の上、掛茶屋に腰かけ、杯を手にして、夕べの景色を眺め入れる也。ふと思ふに、この詩は、四つの俳句を一つの詩に集めたるやうなり。一つ俳句になほして見むとて、
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一峯の數峯になりて時雨れけり
落葉して武藏野遠し水明り
飛ぶ鳥を追ひこす山の落葉かな
伯勞鳴くや石の地藏の首が無き
[#ここで字下げ終わり]
 よかれ、あしかれ、ともかくも、出來上りたり。我が生みたる子が醜ければとて、憎む人はあらじ。醜ければ、なほ更、不便に思ふべし。されど、物事には、程度あり。親は、概して子の愛に溺れて、所謂親馬鹿ちやんりんとなるが如く、藝術家でも概して親馬鹿的なるこそ、傍痛きことなれ。
 國府臺の國府臺とも云ふべき處は、兵營に占領せられたり。こゝは、小利根川と離れむとする臺の一端、四年前に開かれて、公園となりたる也。西方三四里の外に、東京市あれど、目立つは、たゞ凌雲閣と幾百の煙突が吐く烟と也。斜日、陰雲の中に入りたるが、雲をそむるほどには沈まず。遠き處は、早や暮煙低く横はる。一つに連なりし遠林、烟に分れて幾段にも見ゆ。小利根川、近く前を流る。冬の事とて、水落ち、洲出づ。見る/\、川が忽ちばつと明かになりぬ。斜陽が水を射る角度の具合にて、斯く明かになる也。赤に非ず、黄に非ず、白にあらず、唯※[#二の字点、1−2−22]明かといふより外なし。山紫水明とは、平生唯※[#二の字点、1−2−22]文字上に知りて、晩方になれば、水があかるくなるならむ位に思ひたるが、今はじめて、實際見て、その妙趣を知りぬ。『水明』とは、言ひ得て妙なるかなと、ひそかに感歎す。何處やらにて、伯勞鳴く。きび/\して、氣持よき聲也。
 余の思ひは、四百年の昔に馳せぬ。里見氏は、前後二度こゝにて北條と戰ひて、二度とも大敗せり。敗れたるが故に、云ふに非ず。こゝは、守るには不利なる地也。鎌倉の如きも、三方は山に圍まれ、一方は海に面して、要害のやうなるが、實は要害にあらず。前北條氏の末路以來、鎌倉に據りしものは、前後何人となく、みな破られたり。鎌倉は、守り口、七つもあり。多くの兵を要す。もしも一つの口が破れしならば、本營は、忽ち嚢中の鼠となる也。將棋さすにも、王を一方にとぢこもらせて、金將、桂馬、香車、二三の兵にて守れば、一寸完全なるやうなるも、こは、案外に、もろく敗る。それよりも、王を中央において、まさかの時は、どちらへでも、にぐるやうにするが、却つて安全也。鎌倉に據るは、この王が一隅にとぢこもるが如き也。國府臺は、鎌倉と異なりて、一方に小利根川をひかへたる武總平原中間の岡なり。房總の里見が武相の北條と戰ふには、必ず據りさうな處也。前に小利根川あるは、都合よきやうなれど、この川は、上流下流、どこからでも渡りよき川也。岡があまりに、だゝ廣く且つ低くして、何處からでも上るべし。要害の地にはあらざる也。
 はじめの戰は、一方は、足利義明が主にして、里見義堯、其子義弘、之に副たり。一方は、北條氏綱、其子氏康が大將也。この時、北條勝ちて、義明戰死し、義堯、義弘は敗走せり。後の戰は、一方は義弘が主にして、太田三樂齋、之に副たり。張本人は、太田新六郎也。一方は北條氏康、其子氏政が大將也。
 前戰は略して、後戰をしるさむに、太田新六郎は、太田道灌の子孫也。身のたけ、六尺に餘り、力三十人を兼ねたる剛勇無雙の士也。江戸城主遠山丹波守の女婿となり、江戸城に同じく住み、共に北條氏の麾下に屬しけるが、滿腔の野心、人の下に立つを甘んずべくもあらず。謀戰を企つ。あらはる。にげて、同族なる岩槻の太田三樂齋に據り、共に里見義弘をかつぎて、こゝに國府臺合戰を起しける也。
 わが女婿が謀叛したりとありては、遠山丹波守は、北條氏に對して、相すまず。殊に、其城、敵に近し。葛西の富永四郎左衞門は、なほ更近し。二將、相謂つて曰く、人に先を驅けられては、屍の上の恥辱なりと。この『屍の上の恥辱』の語
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