月の隅田川
大町桂月

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【テキスト中に現れる記号について】

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、200−7]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
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荒川堤へとて、川蒸氣に乘りて、隅田川を溯る。つれは福田瑞村なり。われ此の川蒸氣にて隅田川を上下せしこと幾回なるを知らざるが、今瑞村と共とするにつれて、十年の昔の漫ろに偲ばるるかな。
 われに中村香峰といふ友ありき。その香峰は、瑞村と友なり。されど瑞村と余とは香峰を介して人物性行を傳聞せしのみにて、未だ相識らざりしなり。
 香峰は好男子にして、多情多恨の才子なり。端艇の選手にて、常に墨陀に遊びけるが、その粹な角帽姿は、墨陀の教坊を動かしぬ。名たゝる美人に思はれて契りかはしけるが、いよ/\卒業の曉に到れば、浮世の風は二人につらし。美人の親は香峰の貧なるを嫌ひ、香峰の親は美人の素性の賤しきを嫌ひて、良縁あはや破れむとす。瑞村は侠骨と金とを以てし、余は貧なるまゝに、たゞ舌を以てして、彼此の間に周旋して、事やうやく※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、200−7]まりぬ。而して瑞村と余とは、未だ相逢ふの期なかりしなり。
 都の殘暑をよそにせる水郷の別世界に、香峰は瑞村と余とを呼ぶ。勞を謝せむとするなり。兼て未見の知己なる端村[#「端村」はママ]と余とを相逢はせむとするなり。溶々たる隅田川の流れ、櫻の葉越しに見えて、樓上風いとすゞし。はじめて瑞村と相逢ふ。互に胸襟を開きて、謂はゆる一見舊知の如し。三人とも娯樂は碁に於て相一致す。負けのきにて碁を鬪はす。いつもの間にやら、杯盤既に運ばれて、例の美人しきりに酒を侑む。日暮れて、興ます/\酣なり。仰いで明月を見る。此の如きの良夜は得易からず。舟をうかべて夜と共に語りあかさずやと云へば、二人踴躍して應ず。ひとり美人のみは、舟が嫌ひなりとて應ぜず。東坡の赤壁の遊びにも、美人は無かりしやうなり。酒と月とあれば十分なりと、早くあきらめしが、妹は舟に醉はず、侍らせむといふ。妹化粧して來たる。その美、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、201−3]にゆづらず。老いたる舟子一人に
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