が一様に白緑色で塗り潰されていた。画面も小さく構図も平凡で絵としてはごくつまらない習作であるが、元来川口亜太郎は、その属している画会のひどく急進的なのに反して、亜太郎自身の画風はどちらかと云うと穏健で、写実派の白亭の門人だけに堅実な写実的画風を以てむしろ特異な新人として認められていた。ところが度々云うようにこの岳陰荘の位置は、富士山の北麓であり、二階に於ける室の配置は、東南二室に分れその各々に東と南を向いてそれぞれ一つずつの大きな窓が切開かれていた。が、それにもかかわらず、この土地へ始めて来たと云う写実派の亜太郎は、その東側に窓の開いた東室にとじこもって夕暮時の富士山をスケッチしたと云うのだ。早い話が川口亜太郎は、東方の景色しか見えない東の室にいて、南方に見える筈の富士山を写生していたのだ。つまり直ぐ隣りの南室へ行けば充分見る事の出来る富士の風景を、わざわざ箱根山しか見えない東室にとじこもって写生していたと云うのだ。これは確かに可怪《おか》しい。ここへ洋画趣味の医師が疑点を持ったのだ。すると、たとい写実派の川口でも、時には写実を離れて頭だけで描くこともあろうではないか、と金剛蜻治が横槍
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