を入れた。けれども医師は、この絵が決して頭だけで描かれた絵でない証拠として、彼が先刻この家に着いたばかりに、この二階の隣室との境の廊下で、恰度開け放たれていた南室の扉《ドア》を通して、まだ暮れ切らぬ南室の窓の外に、この油絵と全く同じ風景を見たと云い出した。そして呆気にとられている人々を尻目にかけ、鞄を片付けて抱え込むと帽子を無雑作に冠《かぶ》りながら、振り返って吐き出すように云った。
「……ですからこの絵は、この室の窓から見えるべき絵ではないと同時に、明かにあちらの、南の室の窓からのみ見える絵なんです。ま、明日にでもなったら、試みに調べて御覧なさい」
二
医師の主張は、翌朝見事に確められた。
二階の南室の窓からは、成る程医師の云う通り、川口亜太郎の描き残した写生画と寸分違わぬ風景が明かに眺められた。中天に懸った富士の姿と云い、目前五、六十|米突《メートル》の近景にある白緑色の木立と云い、朝と夕方とでは色彩の上に多少の変化があるとは云え、全く疑うことの出来ない風景だった。しかも一方、明かに亜太郎の描き残した写生画は、先にも云ったように色々の絵具を幾層にも塗り上
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