、自分の部屋にきめた東室へ道具を持ち込むと、金剛へ、早速一枚スケッチしたいから先に入浴してくれるよう云い置いて自室へとじこもってしまった事、自分はその隣りの南室で荷物の整理をしたり室内の飾付をしていた事、五時頃に東室で人の倒れるような物音を聞いて駈けつけ、そこで夫の死を発見《みつ》けた事などを小さな声で呟くように答えた。
 別荘番の老人|戸田安吉《とだやすきち》は、事件の起きた五時頃の前後約一時間と云うものは、浴室の裏の広場で薪を割り続けていたと云い、その妻のとみ[#「とみ」に傍点]は吉田町まで買出しに出ていたと答えた。
 四人の陳述は割合に素直で、一見亜太郎の死となんの関係もないように思われたが、先にも述べたように、絵筆を握ったまま倒れた亜太郎の傍らに描き残された妙な一枚の写生画が、その場に居合せた洋画趣味の医師の注意を少からず惹きつけたのだ。
 さて、その問題の絵と云うのは、六号の風景カンバスに、直接描法の荒いタッチで描かれた富士山の写生画であるが、カンバスの中央に大きく薄紫の富士山が、上段の夕空を背景にクッキリと聳え立ち、下段に目前五、六十|米突《メートル》の近景として一群の木立
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