司法主任が立上った。右手にコーヒー茶碗を持ったまま、呻くように、
「こ、こりゃあ、どうしたことだ!」
「……」
「あんなところに……」司法主任の声は顫えている。「あんなところに……むウ、富士山が出て来た!……こ、こりゃあ妙だ?」
見ればいつのまにか、箱根山を包んだ薄霧の帳《とばり》の上へ、このような方角に見ゆべきもない薄紫の富士の姿が、夕空高く、裾のあたりを薄暗《うすやみ》にぼかして、クッキリと聳えていた。
「あなたは、こう云う影の現象を、いままでにご存じなかったのですか?」
大月が微笑みながら云った。
「いや私は、最近こちらへ転勤して来たばかりです!……ふうム、成る程。つまりこりゃあ、入日を受けて霧の上へ写った、富士山の影ですね」
「では、序《ついで》に」と大月は前方を指差しながら、「どうです、ひとつ、あの近景の木立を見て頂きましょうか」
「……」
司法主任は黙ってそちらを見た。
「……あれは、なかなか恰好のいい木立でして……」
「やややッ!」と主任は奇声を張りあげた。「むウ……色が変ってしまった!」
成る程、薄暗の中に一層暗くなっていなければならない筈の暗緑色の木立は、なん
前へ
次へ
全27ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング