、自分の部屋にきめた東室へ道具を持ち込むと、金剛へ、早速一枚スケッチしたいから先に入浴してくれるよう云い置いて自室へとじこもってしまった事、自分はその隣りの南室で荷物の整理をしたり室内の飾付をしていた事、五時頃に東室で人の倒れるような物音を聞いて駈けつけ、そこで夫の死を発見《みつ》けた事などを小さな声で呟くように答えた。
 別荘番の老人|戸田安吉《とだやすきち》は、事件の起きた五時頃の前後約一時間と云うものは、浴室の裏の広場で薪を割り続けていたと云い、その妻のとみ[#「とみ」に傍点]は吉田町まで買出しに出ていたと答えた。
 四人の陳述は割合に素直で、一見亜太郎の死となんの関係もないように思われたが、先にも述べたように、絵筆を握ったまま倒れた亜太郎の傍らに描き残された妙な一枚の写生画が、その場に居合せた洋画趣味の医師の注意を少からず惹きつけたのだ。
 さて、その問題の絵と云うのは、六号の風景カンバスに、直接描法の荒いタッチで描かれた富士山の写生画であるが、カンバスの中央に大きく薄紫の富士山が、上段の夕空を背景にクッキリと聳え立ち、下段に目前五、六十|米突《メートル》の近景として一群の木立が一様に白緑色で塗り潰されていた。画面も小さく構図も平凡で絵としてはごくつまらない習作であるが、元来川口亜太郎は、その属している画会のひどく急進的なのに反して、亜太郎自身の画風はどちらかと云うと穏健で、写実派の白亭の門人だけに堅実な写実的画風を以てむしろ特異な新人として認められていた。ところが度々云うようにこの岳陰荘の位置は、富士山の北麓であり、二階に於ける室の配置は、東南二室に分れその各々に東と南を向いてそれぞれ一つずつの大きな窓が切開かれていた。が、それにもかかわらず、この土地へ始めて来たと云う写実派の亜太郎は、その東側に窓の開いた東室にとじこもって夕暮時の富士山をスケッチしたと云うのだ。早い話が川口亜太郎は、東方の景色しか見えない東の室にいて、南方に見える筈の富士山を写生していたのだ。つまり直ぐ隣りの南室へ行けば充分見る事の出来る富士の風景を、わざわざ箱根山しか見えない東室にとじこもって写生していたと云うのだ。これは確かに可怪《おか》しい。ここへ洋画趣味の医師が疑点を持ったのだ。すると、たとい写実派の川口でも、時には写実を離れて頭だけで描くこともあろうではないか、と金剛蜻治が横槍
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