ちりば》めて鮮かにも奇怪な一大裾模様を織りなし、寒々と彼方に屹立する富士の姿をなよやかな薄紫の腰のあたりまでひッたりとぼかしこむ。東の空にはけれどもここばかりは拗者《すねくれもの》の本性を現わした箱根山が、どこから吹き寄せたか薄霧の枕屏風を立てこめて、黒い姿を隠したまま夕暗《ゆうやみ》の中へ陥ちこんで行く。やがて山荘の窓には灯がともった。その窓に慌だしげな人影がうつる。云い忘れたが岳陰荘は二階建の洋館で、北側に門を構え、階下は五室、二階は東南二室からなり、その二室にはそれぞれ東と南を向いて一つずつの大きな窓がついていた。川口亜太郎の死はこの二階の東室で発見された。
まだ旅装も解かぬままにその上へ仕事着《ブルーズ》を着、右手には絵筆をしっかりと握って、部屋の中央にのけぞるように倒れている亜太郎の前には、小型の画架《イーゼル》に殆ど仕上った一枚の小さな画布《カンバス》が仕掛けてあり、調色板《パレット》は乱雑に投げ出されて油壺のリンシード・オイルは床の上に零《こぼ》れ、多分倒れながら亜太郎がその油を踏み滑ったものであろう、くの字なりに引掻くように着いていた。
急報によって吉田町から駈けつけた医師は、検屍の結果後頭部の打撲による脳震盪が死因であると鑑定し、警官達は早速証人の調査にとりかかった。
最初に訊問を受けた金剛蜻治は、自分達の先輩であり恩師にあたる津田白亭《つだはくてい》が半歳《はんとし》程前にこの岳陰荘を買入れた事、最近川口と二人で岳陰荘の使用を白亭に願い出たところが快く承諾を得たので、当分滞在のつもりで三人して先刻《さっき》ここへ着いたばかりである事、死んだ川口は一行が白亭夫妻に送られて今朝《けさ》東京を発った時から、なにか妙に腑に落ちぬような顔をしてひどく鬱《ふさ》ぎ込んでいたが、それでもこの家へ着いた頃からいくらか元気が出た事、事件の起きた頃には自分は風呂に這入っていた事、尚川口夫婦は二階の二室を使用し自分は別荘番の老夫婦と一緒に階下を使うようになっていた事などを割に落付いた態度で答えた。
続いて亜太郎の妻不二は、金剛と同じように川口が東京を出た時からの憂鬱について語ったが、夫の事でありながら打明けてくれなかったのでその憂鬱の中味がどんなものであるか少しも判らない事、それでもこの家へ着くと始めて見るこの辺《あたり》の風景が気に入ったのか割に元気になって
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