おいでになったような方で歩き方も、いま時の御婦人には珍しい純粋な内股で、いつもお履物が、すぐに内側が擦り減ってかなわない、とおっしゃっておいでになったのを、思い出したからでございます。私は思わずゾッとなって、このことは口に出すまいと決心いたしました。
 ――さて、庭に面した書斎の窓の、親指ほどの太さの鉄棒は、皆で三本抜かれておりましたが、それは三本ともほとんど人間ばなれした激しい力で押し曲げられて、窓枠の※[#「※」は「木+内」、第3水準1−85−54、359−13]《ほぞ》から外されたと見え、それぞれ少しずつ中ほどから曲がったまま軒下に捨ててあるのを見ました時に、私は思わずふるえあがってしまいました。
 ――ところで、今度は旦那様の御|遺骸《いがい》でございますが、これはまことにむごたらしいお姿で、なんでも頭の骨が砕かれたため、脳震盪《のうしんとう》とかを起こされたのが御死因で、もうひとつひどいことには、お頸《くび》の骨がへシ折られていたのでございます。この他には別にお傷はございませんでしたが、けれどもその固く握りしめられた右掌の中から、ナンとも奇妙な恐ろしいものがみつけ出されたのでございます。お側にソッと屈《かが》んで見ますと、なんとそれは、右掌の指にからみつくようにして握りしめられた数本の、長い女の髪の毛ではございませんか。そして、おまけにその髪の毛からは、ほのかに、あの懐かしい、日本髪に使う香油の匂いがしているではございませんか……。私はふと無意識で頭をあげました。このお部屋は十畳敷きで、床の間の真向かいの壁よりの所には、なにか取り込み中で、まだ御整理のできていない奥様のお箪笥や鏡台が、遠慮深げに油単《ゆたん》をかけて置かれてあったのでございますが、香油の匂いを嗅いでふと思わず頭をあげた私は、何気なしにその鏡台のほうへ眼をやったのですが、その途端にまたしてもドキンとしたのでございます。――見れば、いままで気づかなかったその鏡台の、燃えるような派手な友禅の鏡台掛けが、艶《つや》めかしくパッと捲《ま》くりあげられたままであり、下の抽斗《ひきだし》が半ば引き出されて、その前に黄楊櫛《つげぐし》が一本投げ出されているではございませんか。思わず立ち上がった私は、鏡台の前へかけよると、屈むようにして、改めてあたりの様子を見廻わしたのでございますが、抽斗の前の畳の上に投げ出された黄楊櫛には、なんと旦那様のお手に握られていたのと全く同じ髪の毛が三、四本、不吉な輪を作って梳《す》き残されておりました……。
 ――いや全く、その時私は、たった今しがた、その鏡台の前に坐って、澄み切った鏡の中へ姿を写しながら乱れた髪をときつけて消え去って行った恐ろしいものの姿が、アリアリと眼に見えるような気がして、思わず身震いをくりかえしたのでございます。
 ――ところで、この時私は、またしても忌《い》まわしいものをみつけたのでございます。それは、この鏡台の前に来て初めてみつけることができるような、部屋の隅の畳の上に、落として踏みつぶされたらしい真新しい線香、それも見覚えもない墓前用の線香が、半分バラバラになって散らばっているのでございます。なんという忌まわしい品物でございましょう。私は思わず目をつむって、誰へともなく、心の中で掌を合わせたものでございます。そして私は、もうこれ以上これらの忌まわしい思いを、自分一人の中に包み切れなくなりまして、おりから、私へのお調べの始まったのを幸いに、奥様の御離縁からお亡くなりになった御模様。続いてあの谷中の墓地での旦那様のおかしな御容子から、今日いまここに到るまでの気味の悪い数々の出来事を、逐一《ちくいち》申し上げたのでございます。
 ――すると、それまで私の話を黙って聞いていた、金筋入りの肩章をつけた警官は、かたわらの同僚のほうへ向き直りながら、
「どうもこのお爺さんは、亡くなられた奥さんが、幽霊になって出て来られた、と思ってるらしいんだね」
 そういってニタリと笑いながら、再び私のほうへ向き直っていわれるのです。
「成程《なるほど》、お爺《じい》さん。これだけむごたらしい殺し場は、生きている人間の業《わざ》とは、ちょっと思われないかも知れないね。しかし、これも考えようによっては、ただの女一人にだってできる仕事なんだよ。たとえばね。あの窓の鉄棒を抜きとるにしたって、なにもそんなお化《ば》けじみた力がなくたって、よくある手だが、まず二本の鉄棒に手拭《てぬぐい》かなんかを、輪のように廻してしっかり縛るんだ。そしてこの手拭の輪の中になにか木片でも挿《さ》し込んで、ギリギリ廻しながら手拭の輪を締めあげるんだ。すると二本の鉄棒は、すぐに曲がって窓枠の※[#「※」は「木+内」、第3水準1−85−54、362−3]から外れてしまう。
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