別荘ですよ」
 紳士は煙草に火をつけて、満足そうに微笑みながら、
「一台も自動車《くるま》には行き逢わなかったね。……もうあのクーペ、いま頃は関所止めになって、箱根口でうろうろしているだろう」
 遙かに左手の下方にあたって、闇の中に火の粉のような一群の遠火が見える。多分、三島の町だろう。
 やがて自動車は、ゴールにはいるランナーのように、砂埃《さじん》を立てて一段とヘビーをかけた。直線コースにはいるに従って、白塗の停車場《スタンド》がギラギラ光って見えはじめた。
「おやッ?」紳士が叫んだ。
「いないですね!」同時に運転手の声だ。
 全く、道の真ン中には遮断機が下りているだけでクーペの姿はどこにも見えない。そこへ事務員らしい黒い男が飛び出して来て、大手を拡げて道の真ン中に立塞《たちふさ》がった。
 紳士は飛び下りて、バタンと扉《ドア》を締めると同時に叫んだ。
「電話が掛ったろう?」
「掛りました」
「それに、何故通したのだ!」
「えッ?」
「何故|自動車《くるま》を通したと云うんだ!」
「……?」
 事務員はひどく魂消《たまげ》た様子だ。バタバタ音がして、事務所のほうからもう一人の男が出
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