行ってしまいはせんかな?」
「大丈夫です。遮断機には鉄の芯がはいっていますから、私みたいに上げさえしなければ絶対に通れません」
「そうか。いや、そいつア面白い。つまり関所止め、と云う寸法だね。まだクーペは、向うへは着かないだろうね?」
「半分も行かないでしょう」
「よし。じゃあ直ぐ電話してくれ給え。絶対に遮断機を上げないようにね」
事務員は停車場《スタンド》の中へ馳け込んで行った。
間もなく電話のベルが甲高く鳴り響き、壊れかかった遮断機が上って、瀕死の怪我人を乗せた紳士の幌型自動車《フェートン》は、深夜の有料道路《ペイ・ロード》を箱根峠めがけてまっしぐらに疾走しはじめた。
三
さて、読者諸君の大半は、箱根――十国間の自動車専用有料道路《ドライヴィング・ペイ・ロード》なるものがどのような性質を持っているか、既に御承知の事とは思うが、これから数分後に起った異様な事件を正確に理解して戴くために、二、三簡単な説明をさして戴かねばならない。
いったいこの有料道路《ペイ・ロード》の敷設されている十国峠と箱根峠とを結ぶ山脈線は、伊豆半島のつけ[#「つけ」に傍点]根を中心に南北に縦走する富士火山脈の主流であって、東に相模灘《さがみなだ》、西に駿河湾を俯瞰しつつ一面の芝草山が馬の背のような際立った分水嶺を形作っているのだが、岳南鉄道株式会社はこの平均標高二千五百|呎《フィート》の馬の背の尾根伝いに山地を買収して、近代的な明るい自動車道《ドライヴ・ウェイ》を切り開き、昔風に言えば関銭を取って自動車旅行者に明快雄大な風景を満喫させようという趣向だった。だから南北約六|哩《マイル》の有料道路《ペイ・ロード》は独立した一個の私線路であって、十国口と箱根口との両端に二ヶ所の停車場《スタンド》があるだけで枝道一本ついてない。しかもその停車場《スタンド》には前述のように道路の上に遮断機が下りていて番人の厳重な看視の下《もと》に切符なしでは一般に通行を許さない。だから途中からこの有料道路《ペイ・ロード》へ乗り込んで走り抜ける訳にも行かなければ、又途中から有料道路《ペイ・ロード》を抜け出して走り去ることも出来っこない。
もっとも尾根伝いの一本道とは云っても、数|哩《マイル》ぶっ通しの直線道路ではなく、主として娯楽本位の観光道路だから、直線そのものの美しさも旅行者に倦怠を覚えさせない程度のそれであって到るところに快いスムースなカーブがあり、ジッグザッグがあり、S字型、C字型、U字型等々さまざまの曲線が無限の変化を見せて谷に面し山頂に沿って蜿蜒《えんえん》として走り続ける。
けれどもこの愉快な有料道路《ペイ・ロード》も、夜となってはほとんど見晴らしが利かない。わけても今夜のように雲が低くのしかかったむし暑い闇夜には、遠く水平線のあたりにジワジワと湧き出したような微光を背にして夥しい禿山の起伏が黒々と果しもなく続くばかりでどこかこの世ならぬ地獄の山の影絵のよう。その影絵の山の頂を縫うようにして紳士と怪我人を乗せた自動車は、いましも有料道路《ペイ・ロード》の真ン中あたりをものに追われるように馳け続けていた。
「そういえば、なんだか見たことのある自動車《くるま》だと思いましたよ」
ハンドルを切りながら運転手が云った。
「君は堀見氏を知ってる?」隣席の紳士だ。
「いいえ、新聞の写真で見ただけです。でも、あの人の熱海の別荘は知ってます。山の手にあります」
「いま熱海にいるのかね? 堀見氏は」
「さア、そいつは存じませんが……とにかく、車庫《ギャレージ》つきの別荘ですよ」
紳士は煙草に火をつけて、満足そうに微笑みながら、
「一台も自動車《くるま》には行き逢わなかったね。……もうあのクーペ、いま頃は関所止めになって、箱根口でうろうろしているだろう」
遙かに左手の下方にあたって、闇の中に火の粉のような一群の遠火が見える。多分、三島の町だろう。
やがて自動車は、ゴールにはいるランナーのように、砂埃《さじん》を立てて一段とヘビーをかけた。直線コースにはいるに従って、白塗の停車場《スタンド》がギラギラ光って見えはじめた。
「おやッ?」紳士が叫んだ。
「いないですね!」同時に運転手の声だ。
全く、道の真ン中には遮断機が下りているだけでクーペの姿はどこにも見えない。そこへ事務員らしい黒い男が飛び出して来て、大手を拡げて道の真ン中に立塞《たちふさ》がった。
紳士は飛び下りて、バタンと扉《ドア》を締めると同時に叫んだ。
「電話が掛ったろう?」
「掛りました」
「それに、何故通したのだ!」
「えッ?」
「何故|自動車《くるま》を通したと云うんだ!」
「……?」
事務員はひどく魂消《たまげ》た様子だ。バタバタ音がして、事務所のほうからもう一人の男が出
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