て来た。紳士は二人を見較べるようにしながら、重々しい調子で云った。
「――僕は、刑事弁護士の大月《おおつき》というものだが、たとえあのクーペが有名な実業家の自動車《くるま》であろうと、いやしくも人間一人を轢《ひき》逃げにするからは、断じて見逃さん。君達は、自分の良心に恥じるがいい」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
あとから出て来た事務員が乗り出した。額の広い真面目そうな青年だ。
「お言葉ですが、ハッキリお答えします。――この箱根口の停車場《スタンド》へは、貴方《あなた》がたの自動車《くるま》以外に、クーペはおろか猫の仔一匹参りません!」
四
それから数分後――電話を掛ける大月氏のうわずった声が、ベルの余韻に押かぶさるようにして、停車場《スタンド》の中から聞えて来た。
――ああ、もしもし――十国峠の停車場《スタンド》ですか?……箱根口です、先刻《さっき》の怪我人を乗せた自動車の者だがね、そちらへあのクーペが戻って行かなかったかね?……え?……なに、行かない……やっぱり、そうか……ううん、こちらにもいない……本当にいないんだ、全々《ぜんぜん》来ないそうだ、途中で?……むろん、逢わなかったさ……うん大変だよ、よしよし、ありがとう……。
――ああ、もしもし、熱海署ですか?……当直の方ですか?……僕は大月弁護士ですが、誰れかいませんか?……夏山《なつやま》さん?……いいです、代って下さい……。
――夏山警部補ですか?……大月です……いや、却って失礼しました……ところで突然ですが、一寸妙な事件が起きましてね……実は箱根口の有料道路《ペイ・ロード》の停車場《スタンド》にいます……ええ、自動車の轢逃げなんですがね、それがとても妙なんです、ただの轢逃げ事件だけじゃアないらしいんです……ええ……、そうです……ええ、……むろん、追ッ馳けましたよ……両方の停車場《スタンド》を閉塞して、有料道路《ペイ・ロード》へ追い込んだんです……ところがいないんです……本当ですとも……え?……ええ、ええ、お待ちしてます……そうですか、じゃあ大急ぎで来て下さい……ああ、それからね、オート・バイでなしに、自動車で来て下さい……ええ、僕の自動車《くるま》は、怪我人を乗せて、箱根へやっちまったんです……なんしろ大怪我ですからね……じゃあ後ほど、さようなら……。
――ああ、もしもし……もしもし……そちらは、熱海の堀見さんですか? いや、どうも、晩《おそ》くから済みません……失礼ですが、貴女《あなた》は?……ああ、そうですか、私は、弁護士の大月と云うものですが、一寸火急の用件が出来まして……御主人は御在宅ですか?……え?……お留守?……東京の御本宅の方?……じゃアどなたか御家族の方はいらっしゃいませんか?……なに、え? お嬢さん? 鎌倉へ行かれた?……他にどなたも、いらっしゃいませんか?……え? え? お客様が一人?……お客様じゃア仕様がない……じゃアね、変なことをお訊ねしますが、お宅の車庫《ギャレージ》には、自動車がありますか?……え? 有る? そうですか、いや妙ですなア……実は、つい今しがた、箱根の近くで、お宅の自動車にお目にかかったんですよ……乗ってた人は判りませんが、間違いもなくクリーム色のクーペです、嘘だと思ったら、車庫《ギャレージ》を調べて下さい……え? そうですか、お睡《ねむ》いところを済みませんな、じゃア待ってますからな早く調べて下さい……。
――やア、どうも済みませんでした……で、車庫《ギャレージ》のほうはどうでした? やっぱり車庫《ギャレージ》は藻抜《もぬ》けの空《から》、それで……それで……なに、なんだって? お客さまが殺されている※[#感嘆符疑問符、1−8−78]……
ガチリと大月氏は、受話器を叩き落した。そして、なにか身構えるような恰好で、後から駈込んだ事務員達を、黙って真《ま》ッ蒼《さお》い顔をしながら睨め廻した。氷のような沈黙が流れたが、直ぐに大月氏は、気をとりなおすと、ベルを鳴らし、再び慌しく受話器をとり上げた。
――熱海署だ!……ああ、もしもし熱海署ですか?……夏山さんはもう出られましたか?……なに、いま出るとこ?……大変なんだ、直ぐ代ってくれ……。
――ああ、夏山さん……いやどうも、大変なんです……ええ、さっきの自動車なんですがね、ところがね、その自動車《くるま》は、ほら、あの岳南鉄道の堀見さんのものなんです、で、早速いま、そちらの別荘の方へ電話したんです、すると、すると、別荘に人が殺されてるってんです……ええ、そうそう、殺した奴が自動車《くるま》で逃げたわけです……さあ、その乗ってた犯人が誰だか、そいつア判らんですが、とにかく私は、逃げられないように、両方の停車場《スタンド》を厳重に監視し
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