てますから、あなたは別荘へ廻って、そこを調べたら、直ぐにこちらへ来て下さい……じゃアお願いします……。
五
堀見氏の別荘は、熱海でも山の手の、静かなところに建っていた。主人の堀見夫妻は、もう夏の始めから東京の本宅へ引挙げていた。その代り、一人娘の富子《とみこ》が、外人の家庭教師と二人で、この十日ほど前からやって来ていた、が、その二人も、今日の午後になって、大嫌いな客がやって来ると、そそくさと逃げるようにして鎌倉の方へ飛び出して行った。殺されたのは、その客であった。押山英一《おしやまえいいち》と云い、富裕な青年紳士だった。
いったい堀見亮三氏は、岳南鉄道以外にも幾つかの会社に関係していた錚々《そうそう》たる手腕家なのだが、この数年来|二進《にっち》も三進《さっち》も行かない打撃を受けて、押山の父から莫大な負債を背負わされていた。そうした弱味を意識してかしないでか、英一は、まだ婚期にも達しない若い富子を、なにかと求め、追いまわすのだった。
むろん富子は、押山を毛虫のように嫌っていた。それで、英一がやって来ると、家庭教師のエヴァンスと二人で、落着きもなく別荘をあとにしたのだった。エヴァンスは、まだ富子が子供の頃から、堀見家と親しくしているアメリカ生れの老婦人だった。富子が女学校に這入る頃から、富子の家庭教師ともなって富子に英語を教えて来た。彼女は富子を、自分の娘のようにも、孫のようにも愛していた。
別荘には、留守番をする母娘《おやこ》の女中がいた。大月氏の慌しい電話を受けて、最初に深い眠りから醒《さま》されたのは母の方のキヨだった。
睡《ねむ》い眼をこすりながら電話口に立ったキヨは、相手の異様な言葉に驚かされて直ぐに戸外に出て見たのだが、車庫《ギャレージ》にあるべき筈の自動車がなく、表門が開け放されているのをみつけると、なんて物好きなお客さまだろうと思いながら、客室の扉《ドア》を開けてみたのだが、開けてみてそこのベッドの横にパジャマのままの押山が、朱《あけ》に染って倒れているのを見ると、そのまま電話口へ引返した。
大月氏への返事を済すと、キヨは直ぐに警察へ掛けた。掛け終ってそのまま動くことも出来ずに、顫えながら電話室に立竦《たちすく》んでいた。
夏山警部補は、重なる電話にうろたえながらも、とりあえず一部の警官を有料道路《ペイ・ロード》へ走らせ、自分は部下を連れて堀見氏の別荘へ駈けつけて来た。続いてやって来た警察医は、押山の死因をナイフ様の兇器で心臓へ二度ほど突き立てた致命傷によるものと鑑定した。二つの傷の一つは、突きそこなったのか横の方へ引掻くようにそびれていた。殺されてからまだ一時間もたっていない死体だった。
夏山警部補は、キヨをとらえて、とりあえず簡単な訊問を始めた。すっかりあが[#「あが」に傍点]ってしまって、少からずへどもどしながらもキヨは、事の起ったままをあらまし答えて行った。
「……なんでもそんなわけでして、昨晩《ゆうべ》押山様は、大変遅くまで外出なさり、お酒を召してお帰りのようでしたが、それから私達はグッスリ眠りましたので、大月様とかからお電話を頂くまでは、なんにも知らなかったんでございます」
キヨがそう結ぶと、夏山警部補は、玄関から外へ出て見たが、そこで車庫《ギャレージ》の方へ歩きながら警部補は、懐中電燈の光で、地面の上の水溜りの近くに、車庫《ギャレージ》の方へ向って急ぎ足についている女の靴の跡を、二つ三つみつけ出した。
車庫《ギャレージ》には自動車《くるま》はなくて、油の匂いが漂っていた。
夏山警部補は、暫くの間、空《から》の車庫《ギャレージ》をあちこちと調べていたが、やがて「ウーム」と呟くように唸ると、屈みながら顫える手でハンケチをとり出し、そいつで包むようにしながら、床のたたきの上からキラリと光るものを拾いあげた。
血にまみれたナイフだった。それも、見たこともないような立派なナイフだった。見るからに婦人持らしい華奢な形で洒落《しゃれ》た浮彫りのある象牙の柄《え》には、見れば隅の方になにか細かな文字が彫りつらねてある。警部補は、片手の電気を近づけ、覗き込むようにして見た。
(第十七回の誕生日を祝して。1936. 2. 29)
警部補は見る見る眼を輝かしながら、そおっとナイフをハンケチに包むようにしてポケットへ仕舞い込み、そのまま急いで母屋《おもや》のほうへやって来ると、そこでまごまごしていたキヨをとらえて早速切りだした。
「時に、あんたは、歳《とし》はいくつだ? もう五十は越したな?」
「いいえ、まだ、わたし恰度でございます。恰度五十で……」
「ふむ。では、あんたの娘さんは?」
「敏《とし》やでございますか? あれは十八になりますが……」
「じゃア、エヴァンスさん
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング