うに昂然と気どって、
「いや、それだよ……実は、白状するが、今夜から俺は、監視船に乗って、釧路丸を捜す探偵の仲間入りをするんだ」
「なんだって? お前が監視船に……」
「うン、頼まれたんだ」と丸辰は勿体ぶって、「実は、さっきに警察から、俺んとこへ依頼が来たんだ。それで、東屋《あずまや》って人に会って来たんだがな。その人は、内地の水産試験所の所長さんだそうだが、恰度根室へ鱈《たら》漁場の視察に来ていて、今度の事件を聞き込むと、なんか目論見でもあるのか、とても乗気になって、一役買って出たんだそうだ。それで、今夜オホツクから廻されて来る監視船に、乗り込むんだが、それについて、なんでも船乗りの顔に詳しい男が欲しいってわけで、この丸辰が呼ばれたんだ」
「へえー? そりゃ又、えらい出世をしたもんだな」
「うん。しかし、あの東屋って人に、果して釧路丸をつかませても、鯨の祟りが判るかどうかはアテにならんよ。俺も、監視船に乗込むんだから、この仕事には、大いに張合があるわけさ……そうだ、もうそろそろ、乗込みの仕度をしとかんならん。親爺、酒だ。酒を持って来てくれ!」
 妙に、鼻息が荒くなって来た。

          五

 北太平洋の朝ぼらけは、晴れとも曇りとも判らぬ空の下に、鉛色の海を果てしもなく霞ませて、ほのぼのと匂やかだった。
 昨夜根室を出た監視船の隼丸《はやぶさまる》は、泡立つ船首《みよし》にうねりを切って、滑るような好調を続けていた。船橋《ブリッジ》には東屋氏を始め、船長に根室の水上署長、それから丸辰の親爺たちが、張り切った視線を遠くの海へ投げかけていた。中甲板の船室では、数名の武装警官達が、固唾《かたず》を飲んで待ち構える。
 こんなに広い海の真ン中で、果して釧路丸が発見《みつ》かるだろうか? その予想は見事に当って、隼丸は、そのまま緊張した永い時間を過すのだった。
 けれども、午後になって遥かな舷《ふなべり》の前方に、虹のように見事な潮を吹き続ける鯨群をみつけると、今まで無方針を押通した東屋氏の態度がガラリと変って、不意に隼丸は、ひとつの固定した進路に就くのだった。
「うまく発見《みつ》かった。あの鯨群を見逃さないように、遠くから跡をつけて下さい」
 東屋氏は続けて命じた。
「それから、無線電信《むでん》を打って下さい。電文は――捕鯨船ニ告グ、東経152、北緯45[#「45」は縦中横]ノ附近ヲ、北北東ニ向ウ大鯨群アリ――それほどの大鯨群でもないんだが」と東屋氏は笑いながら、「そうそう、序《ついで》に発信者を――貨物船えとろふ丸――とでもしといて下さい」
「えとろふ丸、はよかったですね」
 船長が苦笑《にがわらい》した。
「いや、こんな場合、うそも方便ですか。釧路丸の船長《マスター》は、代りの砲手を雇ったんですから、鯨と聞いたら、じッとしてはいませんよ」
 間もなく船は、スピードをグッと落して、遠くに上る潮の林を目標にして、見え隠れ鯨群のあとをつけるのだった。船足は、のろのろと鈍くなったが、船の中の緊張は、一層鋭く漲《みなぎ》り渡って来た。
 東屋氏は、双眼鏡《めがね》を持って、グルグルと水平線を見廻していたが、やがてひと息つくと、水上署長へ、
「昨晩お訊ねしたあの釧路丸の最高速度ですね。あれは、確かに十二|節《ノット》ですね?」
「間違いありません」
 署長が、気どって云った。
 東屋氏は頷きながら、今度は船長へ、
「欝陵島から根室まで、最短距離をとって、八百|浬《カイリ》もありますか?」
「そうですね。もっとあるでしょう。八百……五、六十|浬《カイリ》も、ありますかな? しかしそれは、文字通りの最短距離で、実際上の航路としては、それより長くはなっても、短いことはありませんよ」
「ああ、そうですか」
 東屋氏は、再び双眼鏡《めがね》を覗き込む。
 雲の切れ目から陽光《ひかげ》が洩れると、潮の林が鮮かに浮きあがる。どうやら仔鯨を連れて北へ帰る、抹香鯨《まっこうくじら》の一群らしい。船は、快いリズムに乗って、静かに滑り続ける。
 やがて一時間もすると、無電の効果が覿面《てきめん》に現れた。最初右舷の遥か前方に、黒い小さな船影がポツンと現れたかと思うと、見る見る大きく、捕鯨船となって、その鯨群を発見《みつ》けてか、素晴らしい速力《そくど》で潮の林へ船首を向けて行った。
「さア、あの船に感づかれないように、もっと、うんとスピードを落して下さい」
 隼丸は、殆んど止まらんばかりに速度を落した。人々は固唾《かたず》を呑んで双眼鏡《めがね》を覗いた。捕鯨船は、見る見る鯨群に近付いて、早くも船首にパッと白煙を上げると、海の中から大きな抹香鯨の尻穂《しっぽ》が、瞬間跳ね曲って、激しい飛沫を叩きあげた。――しかし、人々は、苦笑しながら双眼鏡《めがね》を外した。その船は、釧路丸ではなかったのだ。
「どうも、仕方がないですな。しかし、違犯行為はありませんか?」
「まア見てやって下さい。間違いないようですよ」
 やがて捕鯨船は、両の舷側に大きな獲物を浮袋のようにいくつも縛りつけて、悠々と引きあげて行った。
 鯨群は、再び浮き上って進みはじめた。隼丸は、もう一度根気のよい尾行を続ける。
 それから、しかし、一時間しても、第二の捕鯨船は現れない。東屋氏の眉宇《びう》に、ふと不安の影が掠めた。――もしも、このままで釧路丸が来なかったとしたら、夜が来る。夜が来れば、大事な目標の鯨群は、いやでも見失わねばならない。東屋氏はジリジリしはじめた。
 ところが、それから三十分もすると、その不安は、見事に拭われた。左舷の斜め前方に、とうとう岩倉会社特有の、灰色の捕鯨船が現れたのだ。うっかりしていて、最初船長がそれを発見《みつ》けた時には、もうその船は鯱《しゃち》のような素早さで、鯨群に肉迫していた。
 隼丸は、あわてて速度を落す。幸い向うは、獲物に気をとられて、こちらに気づかないらしい。益々近づくその船を見れば、黒い煙突には○のマークが躍り、船側《サイド》には黒くまぎれもない釧路丸の三文字が、鮮かにも飛沫に濡れているのだった。
 ダーン……早くも釧路丸の船首には、銛砲《せんぽう》が白煙を上げた。東屋氏が合図をした。隼丸は矢のように走りだした。
「おや」と船長が固くなった。「あいつ、犯《や》っとるな。仔鯨撃ちですよ」
「恐らく常習でしょう」東屋氏が云った。
 釧路丸では、ガラガラと轆轤《かぐらさん》に銛綱《せんこう》が繰《く》られて、仔鯨がポッカリ水の上へ浮上った。するとこの時、前檣《マスト》の見張台にいた男が、手を振ってなにやら喚き出した。近づく隼丸に気づいたのだ。と、早くも釧路丸は、ググッと急角度で左舷に迂廻しはじめた。
 隼丸の前檣《マスト》に「停船命令」の信号旗が、スルスルと上った。時速十六|節《ノット》の隼丸だ。――捕鯨船は、戦わずして敗れた。
 近づいてみると、鯨群は思ったよりも大きかった。逃げもせずにうろうろしているその鯨達の中に、諦めて大人しく止ってしまった釧路丸へ、やがて隼丸が横づけになると、東屋氏、署長、丸辰を先頭にして、警官達が雪崩《なだ》れ込んで行った。釧路丸の水夫達は、ただの違法摘発にしては少し大袈裟過ぎるその陣立てを見て、ひどくうろたえはじめた。が、直ぐに警官達に依って包まれてしまった。
 東屋氏は、署長、丸辰を従えて、船橋《ブリッジ》へ馳け登って行った。そこには運転手らしい男が、逃げまどっていたが、東屋氏が、
「船長《マスター》を出せ!」
 と叫ぶと、
「知らん!」
 と首を振って、そのまま甲板《デッキ》へ飛び降りた。が、そこで直ぐに警官達と格闘が始った。その様を見ながら、どうしたことかひどくボケンとしてしまった丸辰を、東屋氏はグイグイ引張りながら、船長の捜査を始めだした。
 船長室にも無電室にもみつからないと、東屋氏は、船橋《ブリッジ》を降りて後甲板の士官室へ飛込んだ。が、いない。直ぐ上の、食堂にも、人影はない。――もうこの上は、船首《おもて》の船員室だけだ。
 東屋氏は、丸辰と署長を連れて、前甲板のタラップを下り、薄暗い船員室の扉《ドア》の前に立った。耳を澄ますと、果して人の息使いが聞える。東屋氏は、すかさず扉《ドア》をサッと開けた。――ガチャンと音がして、室《へや》の中の男が、ランプにぶつかって大きな影をゆららかしながら、向うへ飛び退《の》いて行った。けれども次の瞬間、激しく揺れ続ける吊ランプの向うで、壁にぴったり寄添いながら、眼を瞋《いか》らし、歯を喰いしばって、右手に大きな手銛を持ってハッシとばかりこちらへ狙いをつけたその船長《マスター》を見た時に、丸辰がウワアアと異様な声で東屋氏にだきついた。銛が飛んで、頭をかすめて、後ろの壁にブルンと突刺さった。が、署長の手にピストルが光って、直ぐに手錠のはまる音が聞えると、丸辰が顫え声を上げた。
「そ、その男は、死んだ筈の、北海丸の船長《マスター》です!」とゴクリと唾を呑み込んで、肩で息をしながら、「そ、それだけじゃアない……いやどうも、さっきから変だと思ったが、あの運転手も、それから、甲板《そと》で捕まった水夫達も、ああ、あれは皆んな、死んだ筈の北海丸の乗組員です!」
「な、なんだって?」あとから飛び込んで来ていた隼丸の船長が、蒼くなって叫んだ。「飛んでもないこった。じゃア、いったい、それが本当だとすると、釧路丸の船員達は、どうなったんだ?」
 するとこの時、いままで黙っていた東屋氏が、振返って抜打ちに云った。
「釧路丸は、日本海におりますよ」
「え※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 船長がタジタジとなった。
「ああ、ごもっともです」と東屋氏は急にすまなさそうに首を振りながら、「いや申上げます。なんでもないんですよ。……あなたは、釧路丸の最高速度を、十二|節《ノット》と再三云われましたね……問題は、それなんですよ。ま、考えて見て下さい。その十二|節《ノット》の釧路丸は、欝陵島の警察からの報告によれば、殺人事件の前々日に、あの島の根拠地を出漁したんでしょう?……ところが、欝陵島から根室までは、最短八百五十|浬《カイリ》もあります。それで、釧路丸が最高速度で走ったとしても、ええと……七十時間、まる三日はかかるんですよ……いいですか、つまり殺人のあった晩に根室へはいった船は、断じて釧路丸ではないんです」
 船長は、紙のように白くなりながら、喘《あえ》ぎ喘ぎ云った。
「じゃア、いったい、この船は?」
「この船は、去年の秋に、日本海溝附近で沈んだ筈の、北海丸ですよ」
「……」
 皆が呆れはてて黙ってしまうと、東屋氏は、やおらタラップを登りながら、切りだすのだった。
「いや、捕鯨史始って以来の、大事件です……実はこう云う私も、この丸辰さんに船長《マスター》を鑑定させるまでは、その確信も八分位いしかなかったんですがね……時に船長。捕鯨船の法定制限数は、三十|隻《せき》でしたね。いやこれは、私の組立てた意見なんですが、――あの岩倉会社の大将は、二隻に制限されている自分の持船を、三隻にしたんですよ。つまり、幹部船員達と共謀して、一年前に北海丸の偽沈没を企てたんです。あの嵐の晩に、船側《サイド》の名前を書き変えて、まんまと姉妹船の釧路丸に偽装した北海丸は、勝手に油や炭塵を海に流し、贋《にせ》の無電を打って、さていち早く救助に駈けつけた釧路丸のような顔をしながら、サルベージ協会の救難船と一緒に、自分の幻を二日も三日も涼しい顔で探し廻ったんですよ……どうも呆れた次第ですが、……そうして、やがて船舶局には、北海丸の沈没が登録され……そうだ、私の考えでは、恐らく今度新造された新らしい北海丸なぞ、前の北海丸の保険金で出来たんじゃアないかと思いますね……とにかく、そうして岩倉会社は、表面法律で許された二隻の捕鯨船で、その実、三隻それも一隻はぬけぬけと脱税までして、能率を上げていたんですよ……ところが、この釧路丸は贋物なんですから、船員の口から秘密の洩れるのを恐れて、まず根室の附近へは、絶対に入港も上陸も
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