かなりの苦闘を続けたと見えて、全身一面に、同じ手銛の突創《つききず》がいくつも残されていた。激しい手傷を受けて、思わず板壁によろめきかかった安吉に、背後から最後のとどめを突刺して、そのまま犯人は逃げ去ったものらしい。
 取外された屍体は、直ぐに検屍官の手にうつされたが、しかしこれと云う持物はなにもなく、安吉がどこをどんなにして歩き廻っていたか、恐ろしい秘密を物語るような手掛は、一つも残っていなかった。
 今度こそ本当に未亡人になった女と、丸辰の親爺、それから最初酒場の扉口《とぐち》に安吉を見たマドロス達は、その場で一応の取調べを受けた。丸辰は、自分の見ただけのことを勝手に喋舌《しゃべ》って、それから先が判らなくなると、「鯨の祟り」を持出した。そいつの尻馬に乗ってマドロス達は、同じように勝手な憶測ばかり撒き散らして、なんの役にも立たなかった。しかし安吉の妻の陳述によって、その不満は半ば拭われ、警官達には、事件の外貌だけがあらまし呑み込めて来た。
 重なる異変に気も心もすっかり転倒しつくした安吉の妻は、夢うつつで後さきもなく、夫の断末魔の有様を述べて行ったが、述べ進むにつれて少しずつ気持が
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