。夫婦の間には、子供が一人あった。女は愚痴話をしながら、家に残して来たその子供のことを思い浮べると、酔も醒めたように、ふと押黙って溜息をつく。
 最初のうちは、夢のように信じられなかった夫の死も、半|歳《とし》一年と日がたつにつれ、追々ハッキリした意識となって、いまはもう、子供のためにこうして働きながら、酔ったまぎれに法螺《ほら》とも愚痴ともつかぬ昔話をするのが、せめてもの楽みになっているのだった。
 北海丸と云うのは、二百|噸《トン》足らずのノルウェー式捕鯨船で、小さな合名組織の岩倉《いわくら》捕鯨会社に属していた。船舶局の原簿によると、北海丸の沈没は十月七日とあった。その日は北太平洋一帯に、季節にはいって始めての時化《しけ》の襲った悪日だった。親潮に乗って北へ帰る鯨群を追廻していた北海丸は、日本海溝の北端に近く、水が妙な灰色を見せている辺《あたり》で時化《しけ》の中へ捲き込まれてしまった。
 最初に救難信号《エス・オー・エス》を受信《きき》つけたのは、北海丸から二十|浬《カイリ》と離れない地点で、同じように捕鯨に従事していた同じ岩倉会社の、北海丸とは姉妹船の釧路丸《くしろまる》だっ
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