「ところがきみ、ほら、綱は分銅の落ちる三十メートルの円筒の深さよりも、故意か偶然か、四メートルも短いじゃないか。だからつまり、あの地響きは、――海上から化け物が投げ込んだ暴れ石に、旋回機が砕かれたときに傷ついたロープが、そのあとだんだん痛んでいって、ついに切れて自然に分銅が落ちて地響きがした――などというのではなくて、友田看守を殺し、あのランプ室の破壊をぼくがいま言ったような方法で行った怪人物が、一端を分銅の把手《とって》のひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びの端へ縛り他の一端をランプ室で手もとへ残しておいたところの、あの細紐を、破壊後に引っ張ると、果してひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びは解けて、それまで途中にぶら下っていた分銅は、俄然《がぜん》円筒底へ落ちる。そして二人の証人が、ガラスや機械のこわれる音のしばらく後から聞いたという、地響きを立てたのだ」
「なるほど」
 わたしは領《うなず》いてみせた。
「一方その怪人物は、解けた綱を手繰り上げると、友田看守の腹の上に坐った岩片《いし》のほうも解いて、階段から降りると物音に驚いて登って来る人に見られるから、ランプ室の外のデッキの手すりへおなじように綱をひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びにして、それをつたって下の高い岩の上へ降りる。塔の根元よりは五、六メートルも高い岩だ。そしてひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びを解いて、不要になった綱を海中へ投げ込む……」
「なるほど、素晴しい」
 わたしは思わず嘆声を上げた。「それならどんな力のない男でも、少し動きさえすれば楽にやれますね。じゃ一体、それは幽霊の仕業《しわざ》か、それとも人間の仕業か、ということになりますね」
「さあ、それが問題だよ」と東屋所長は立ち上りながら言った。
「暴れ石のからくりもこうわかってみれば、たしかに人間の仕業としか思われないこまかさがある。けれども一方、あの謹厳な正直者の風間看守は、たしかに怪異の姿を見たと言うし、ランプ室の床に四散していた汚水といい、妙な唸り声や、鳴き声といい……ああとにかく、もう一度塔の上へ登ってみよう」
 そこでわたし達は、ふたたび塔上のうす暗いランプ室へやって来た。けれどもそこには、三田村技手がいくつかの荷物を持って、わたし達よりも一足先に登って来ていた。そしてわたし達を見ると、これからアンテナの取付工事をするのだが、失礼ながらちょっと手伝っていただきたい、と申し出た。そこでわたしは、玻璃窓の外側の危な気なデッキに立って、なんのことはない、幾本かの針金の端を持って、即製の電気屋になった。
 だいぶん風が出て来て、さしものふかいガスも少しずつ吹き散らされてきたようだが、そのかわり波が高くなって、わたし達の立っているデッキから三十メートル真下の岩鼻に、眩暈《めまい》のしそうな波頭がパッパッと白く噛《か》み砕ける。
「ずいぶん高いね」と東屋氏が言った。
「これだけのところを、綱につたわって降りるのは大変だ……」とそれから、突然元気な調子になって、そばに仕事をしていた三田村技手へ、急に妙なことを言い出した。
「すみませんが、ちょっとあなたのてのひらを見せて下さい」
 ――ああ東屋氏は、てのひらの胼胝《たこ》で怪人物を突き止めるつもりだ。なるほどこれは名案だ!
 けれども、三田村技手のてのひらには胼胝は出来ていなかった。東屋氏は急にそわそわし始めると、テレ臭そうにわたしと三田村技手を塔上に残してそそくさと降りて行った。
 アンテナ工事を手伝いながら見ていると、間もなく地上へ降り立った東屋氏は、ちょうど官舎のほうから出て来た風間老人へ、
「まだ予備灯の仕度は出来ませんか?」と言った。
「ええ、まだこれから、掃除をしなければなりませんから」
 風間老人の声は、なぜか元気がない。
「すみませんが、ちょっとあなたのてのひらを見せて下さい」
 と案の定切り出した。これは面白くなって来た、と思ったのも束《つか》の間《ま》、やっぱり風間老人のてのひらにも胼胝《たこ》は出来ていなかったと見えて、やがて老看守は倉庫の中へ入り、東屋氏は、今度は官舎のほうへ出掛けて行った。そしてわたし達の視野から姿を消してしまった。
 アンテナ工事はなかなか困難だ。わたしの両手は折れそうに痛くなった。その上ここはひどく寒くて、眩暈《めまい》もする。けれどもやがてその困難な仕事がほとんど出来上ったころに、東屋所長が非常に緊張した顔つきで、飛び込むように帰って来た。
 東屋氏は明らかにただならぬ興奮を押えつけているらしく、途切れ途切れに言った。
「……あの細君、自分の亭主の死体が、見られないはずはないって、小使に喰《く》ってかかってたよ……早く見せて上げたほうが、かえっていいと思うが……」
「てのひらはどうでした?」わたしは待ちかねて尋ねた。
「なにてのひら……うん、小使にも細君にも、胼胝《たこ》などは出来ていなかったよ」
「じゃあ、やっぱり妖怪の……」
「いや、まあ待ちたまえ……ぼくはそれから、そのお隣の風間さんの官舎へ、ちょっと失礼して上らしてもらったんだ、もちろん娘さんに逢《あ》うつもりでね……そしてそこで、大発見をした!」
「大発見? じゃあ、寝ている娘のミドリさんのてのひらに胼胝でもあったんですか?」
「いいや、違う。それどころじゃあない」
「すると娘さんの身に、何か異変でも?」
「冗談じゃあないよ。ぼくはてんから[#「てんから」に傍点]娘さんなど見はしない。彼女は、どこの部屋にもいやしなかった」
「ミドリさんがいなかったですって!?[#「!?」は第3水準1−8−78、117−3]」
 三田村技手が聞きとがめた。すると東屋氏は、うす暗い蝋燭《ろうそく》の灯に、大きな自分の影法師をニュッとのめら[#「のめら」に傍点]しながら、
「うん、そのかわり、さっき老人がここで見たという……あの赤いグニャグニャの幽霊に出会ったよ!」

       五

 やがて東屋氏は、驚いているわたしを尻目《しりめ》にかけ、三田村技手へあらたまった調子で言った。
「ところで三田村さん。あなたは事件のあった直後にここへ登って来られたとき、階段の途中で風間さんに逢われたのでしたね。風間さんは、何か手に持っていませんでしたか?」
「……そういえば、洋服の上着を脱いで、こう、右手に持っていられました」
「なるほど。有難う。じゃあもう一つ訊かせて下さい。あの娘さんは、何歳《いくつ》ですか?」
「ええと、多分、二十八です」
「品行はどうですか?」
「えッ、品行?……ええ、いや、なんでも、大変利口な、いい娘《こ》だったそうですが……」
「いや、ここだけの話ですから、遠慮なく聞かせて下さい」
「はア……以前は、よかったんですが……それが、その……」と三田村技手はひどく困ったふうで、
「……ちょうど去年の今ごろのことでしたが、当時風間さんの宅に、しばらく厄介になっていた或《あ》る貨物船の機関士と、いい仲になって、家を飛び出したのがそもそもよくなかったんです……なんでもその後、横浜あたりでどうにかやっていたそうですが、なんしろ相手がよくない船乗りのことで、定石《じょうせき》どおり、子供は孕《はら》む、情夫《おとこ》には捨てられたということになって、半年ほど前に、すごすご帰って来たんです」
「ふむ、それで……」
「……それで、大変朗かな娘さんでしたが、それからはガラッと人間が変ったようになりました……そんなふうですから、自然と父親の風間さんからも、なにかにつけて、いつも白い眼で見られていたようです。……全く、考えてみれば、気の毒です……」
 そう言って三田村技手は、思わず自分の軽口を悔むような、いやな顔をして両手を揉《も》み合わせた。けれども、いままでじっと聞いていた東屋氏は、やがて暗い顔を上げると、呟《つぶや》くように言った。
「……ぼくは、あの暴れ石のからくりを弄《ろう》したものが、なんだかわかりかけてきたようだ」
「いったいそれはだれです! 娘さんですか、それとも……」
「もちろんそれは、娘のミドリさんだよ」
 とそれから東屋氏は、そばの椅子へしずかに腰を下ろし、両膝《りょうひざ》に両肘《りょうひじ》をのせて指を前に組み合せ、ためらうように首を捻《ひね》りながら、ボツリボツリと切り出した。
「……これは、どうも少し、臆測《おくそく》に過ぎるかもしれない……けれども、どうしてもぼくの想像は、こんなふうにばかり傾いてくるんだ。それに、どうもロマンスというやつは、畑違いでぼくには苦手だが、ま、……ここに一人の、純心な灯台守の娘があったとする。あるとき難波船から救い上げた一人の船員と、彼女は恋に陥る。ところが父親は非常に厳格な人で、娘のそのような気持を受け容《い》れない。当然若い二人は、相携えて甘い夢を追い求める……けれども、やがて彼女の身に愛の実の稔《みの》るころには、おとこの心は船に乗って、遠い国へ旅立つ……そしてひとすじの心を偽られた彼女は、堪え難い憎しみを抱いて、故郷へ帰る……けれども父親の冷たいもてなしは、彼女の心を狂おしいまでに掻《か》き立て、そして夜ごと日ごとに沖合をとおる夢のような船の姿は、彼女の心に憎しみの極印を焼きつける。おとこへの憎しみは船乗りへの憎しみとなり、船乗りへの憎しみは船への憎しみとなり、船という船を沈めつくさんとしてか、とうとうきびしい掟《おきて》を犯して船乗りの命の綱の灯台へ、ガスの深い夜ごとに、看守の居眠り時を利用して沙汰《さた》限りの悪戯《わるさ》をしかける……けれども、ある夜とうとう看守にみつけられた彼女は、驚きのあまりそばにありあわせた手斧《ておの》を振るって看守の頭へ打ち下ろす。そして自分の犯した恐ろしい罪に戸惑いながらも、犯跡を晦《くら》ますために暴れ石のからくりを弄《ろう》する……そうだ、これはまた、前から組み立てていた灯台破壊の計画と見てもいい……」
「じゃあ、いったい、あの恐ろしい化け物はどうなるんです」
 わたしは思わず口を入れた。
「そんなものはなかったよ」
「だって、あなた自身」
「まあ待ちたまえ。話をぶちこわさないでくれたまえ……あの親爺《おやじ》さんは、大変厳格で正直で責任感が強く、ただでさえ白い眼で見ていた娘の、こんなにも大それた罪を許そうはずはない。けれども、それにもかかわらず、物音を聞いてここへかけ登って来た瞬間から、老人の気持はガラッと変って、生涯に一度の大嘘《おおうそ》をついて化け物を捏造《ねつぞう》し、娘の罪を隠し始めたのだった」
「だってそうすると、この化け物の狼藉《ろうぜき》の跡は、いったいどうなるんです。この怪しげな水や、三田村さんもたしかに聞いたというあの呻《うめ》き声や、変な鳴き声は?」
「まあ聞きたまえ……ね、あのとき、蝋燭をともして恐怖にわななきながら、その階段を登って来た老看守は、このランプ室でいったいなにを見たと思う?……破《わ》れた玻璃窓でもない。こわれた機械でもない。友田看守の死体でもない。いいかい。二人の生きた人間を見たのだよ!……恐ろしい罪を犯し、それをまたきびしい父親にみつけられて、半狂乱で玻璃窓の外から、真逆様《まっさかさま》に海中へ飛び込んだ救うべくもない不幸な娘と、それから、もう一人……蛸《たこ》のようにツルツルでグニャグニャの、赤い、柔らかな……そうだ、精神的なショックや、過労の刺戟《しげき》のために、月満たずして早産《うま》れおちたすこやかな彼の初孫《ういまご》なんだ!……」
 わたしは思わずハッとした。
 ――ああそうか、そうだったのか! それでこそあの怪しげな呻き声も、のたうつような戦慄《せんりつ》陣痛の苦悶《くもん》であり、奇妙な風船笛のような鳴き声も、すこやかな産声《うぶごえ》であり、怪しげな濁《にご》り水《みず》も、胎児の保護を終えた軽やかな羊水であったのか、とわれながらいまさらのように呆《あき》れ返るのだった。そして可愛《かわい》い初孫の顔を見た瞬間に、勃然《ぼつぜん》として心の底に人間の弱さをおぼえた風間老看守の心境も、なんだ
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