躍り込んだわたし達は、とうとうそこでほんとうに化け物の狼籍《ろうぜき》の跡を見たのだった。
 円筒形にランプ室の周囲を取り巻いた大きなガラス窓の、暗黒の外海に面したほうには、大きな穴があき、蜘蛛《くも》の巣のようなひびが八方にひろがり、その穴から冷たい海風がサッとガスを吹き込むと、危なげな蝋燭の火がジジッと焦立《いらだ》つ。うす暗いその光に照らされて、小さな円い室《へや》の中央にドッシリと据えられた、大きなフレネル・レンズのはまった三角筒の大ランプは、その一部に大破損を来し、暗黒のその火口からは、石油ガスが漏れているらしく、シューシューとかすかな音を立てていた。そしてその大きなカップ状の水銀槽にささえ浮《うか》められた大ランプの台枠《だいわく》の縁《ふち》には、回転式灯台特有の大きな歯車が仕掛けてあるのだが、その歯車に連なる精巧な旋回装置は無残にも粉砕されて、ランプの回転動力なる重錘《おもり》を、塔の中心の空洞につるしているはずのロープは、もろくも叩《たた》き切られていた。
 けれども何にもまして無惨で思わずわたし達の眼をそむけさしたのは、破壊された旋回機のかたわらに、口から血を吐き、両の眼玉をとび出さして、へなへなとつくね[#「つくね」に傍点]たように横たわっている友田看守の死体だった。そしてなんとその腹の上には、ひどく湿りをおびた巨大な岩片《いわ》が、喰《く》い込むように坐《すわ》っているのだ。
「……これやアひどい……ずいぶん大きな石ですね」
 東屋氏が口を切った。
「さあ、四、五十貫はありますね」と三田村技手が言った。
「こいつア大の男が二人かかっても、この塔の上まではちょっと運べませんね……まして、外の海のほうから、三十メートルの高さのこのガラス窓を破って投げ込むなんて、正に妖怪《ようかい》の仕業《しわざ》ですよ」
「で、あなたの見た幽霊というのは?」
 と東屋氏が、風間老看守のほうへ向き直った。すると老看守は引ッつるように顔を顰《しか》めながら、
「……先ほど申しましたように、わたしはこの室《へや》へ入った瞬間に、その割れた玻璃窓の外のデッキから、それは恐ろしいやつが、海のほうへ飛び込んだのです……それは、なんでも、ひどく大きな茹蛸《ゆでたこ》みたいに、ねッとりと水にぬれた、グニャグニャの赤いやつでした……」
「蛸?」
 と東屋所長が首をかしげた。
「蛸なら吸盤があるから、ここまで登って来るかもしれないね」
 とわたしは冗談らしく言った。すると東屋氏は、
「いや、この近海のように寒流の影響のある海には、二、三メートルからの巨大なミズタコというやつはいるが……けれども、そんな赤いものではない」
 そう言って、しきりに首をひねり始めた。
 見ればリノリウムを敷き詰めた床《ゆか》の上には、なるほどそのような妖怪の暴れた跡らしく、点々としておびただしいガラスのかけ[#「かけ」に傍点]や血海のほかに、なんとなくぬらぬらした穢《きたな》らしい色の液体が、ところかまわずベタベタと一面にこぼれており、それがまたなんとも言えない生臭いような臭気をさえ、室中に漂わせているのだ。

       三

「……わからん」
 ややあって、東屋氏が投げ出すように言った。
「さっぱりわからん……けれども、これだけのことはわかるね」と腕組みを解きながら、「とにかくわたし達試験所の当直の報告や、あなた方のお話を綜合《そうごう》してみても、……まずこの大石が、玻璃《はり》窓を破って室内に飛び込み、ランプや旋回機を破壊して当直を叩き殺す。でそのとたんに、ランプの回転が止って閃光《せんこう》が不動光になり、間もなくガス管の故障で灯も消える……一方粉砕された旋回機に巻きついていたロープは切れて、回転動力の重錘《おもり》というか分銅というか、とにかくそいつが、この塔の中心を上下に貫いている三十メートルの円筒の底へドシンと落ちて地響きを立てる……当直が断末魔の呻《うめ》き声を上げる……そうだ。そしてそのとき、変な鳴き声を出して、こんな気味のわるい分泌液をたらしながら、幽霊が侵入する……だが、それから先は、さっぱりわからん…………」
「わたしは、こんな目に出合ったのは、生まれて初めてだ!」
 風間老看守が吐き出すように言った。すると東屋所長が老看守に向って、
「とにかくあなたは、この惨劇をみつけてから、どうされたんです」
「わたしはびっくりして、下へ降りて行き途中で、登って来る三田村君に逢《あ》いました」
「無電が通じなかったからです」
 三田村技手が言った。すると風間老人が、
「むこうの鉄柱からこの玻璃窓の前の手すりへはったアンテナが、大石のために切れてしまったからです……で、それから、わたしは小使を起そうと思って下へ、三田村君は現場へと、すぐに別れました。でも、とにかくなんとかしなければなりませんので、しばらく迷ったあげく、三田村君と小使に、とりあえず試験所へご後援を願いに向わせたんです」
「いやそうですか。一向お役にも立ちませんが」と東屋氏が、われに帰ったように言った。「じゃあとにかく、こうしてもいられませんから……そうだ、風間さん、あなたは、現場の証拠品に手をつけないようにして、早速予備灯の支度をなさってはいかがですか。海は、真っ暗ですよ。……それから三田村さんは、アンテナを修繕して、少しも早く通信を始めて下さい。わたし達もお手伝いしましょう」
 そこで二人はしばらく戸惑うようにしていたが、やがて波の音にせき[#「せき」に傍点]立てられるように、そわそわと降りて行った。そしてわたし達は、それぞれにはげしい興奮を押えながら、あらためて取り散らされた室内を呆然《ぼうぜん》と見廻すのだった。
 ところがここで、はからずもわたしは重大な発見をした。それは一丁のなまくらな手斧《ておの》を、室内のうす暗い片隅から拾い上げたのだ。しかもそのにぶい刃先には、なんと赤黒い血がこびりついていた。
 この発見で顔色を変えた東屋氏は、早速かがみ込んで、あらためてしげしげと友田看守の死体を眺め始めた。が、間もなく死人の頭の右耳の上に、この手斧でなぐりつけたらしい新しい致命傷をみつけて立ち上った。
「これアきみ、傷口の血のかたまり工合から見ても、この傷のほうが、先に加えられたほんとうの致命傷らしいね……すると、あの石の飛び込んだときには、もう友田看守は死んでいたんだ……だが、そうすると、あの石の飛び込んだ音の後から聞いたという呻《うめ》き声は、死人のものなどではないことになる……これアだいぶん事情が違ってきた」
「じゃあやっぱりあれも、幽霊の唸《うな》り声?」
 とわたしは思わず声を出した。
 けれども東屋氏は、それには答えないでしきりに苦吟しつづけていたが、やがて語調をあらためて言った。
「ねえきみ……ぼくはまず、なんと言っても、この奇怪な暴れ石の出所のほうが先決問題だと思うよ……ね、この岩片《いし》には、この辺の海岸にはいくらでもいるフジツボやアマガイのような岩礁《がんしょう》生物が、少しもついていないところをみると、どうしてもこいつは、満潮線以下にあったものではないね。といっても、このしめり工合《ぐあい》じゃあ、まさか山の中のものじゃないし、どうだい、こうしている間に、ちょっとこの下のしぶき[#「しぶき」に傍点]のかかりそうな波打ち際を散歩してみないかい」
 というわけで、やがてわたし達は、灯台の根元の波打ち際へ降り立った。
 そこでは、闇の外洋から吹き寄せる身を切るような風が、磯波《いそなみ》の飛沫《ひまつ》とガスをいやというほどわたし達に浴びせかけた。けれどもすぐにわたし達は、塔の根元の一番|烈《はげ》しい波打ち際の一段高くそびえた岩の上で、おなじような岩片《いし》が飛沫にぬれていくつも転がっているのを、ほとんど手さぐりで発見した。
 ところがはからずもわたしは、おなじ岩の上で、わたしの足元から、岩の裂け目をクネクネと伝わって、一本の太い綱が、波打ち際から海の中へ浸《ひた》っているらしいのを、拾い上げた。はてな? と思って引っ張って見ると、ずるずると出てくる。いい気になって手繰《たぐ》りよせる。なかなか長い。やがてその先端がきたかと思うと、妙なことに、そこにはまた別の、今度はずっと細い紐《ひも》の先がしっかり撚《よ》りつけてある。引っ張る。ところがこれがまたおなじようになかなか長い。やっと全部手繰り終ったわたしは、
「妙なものですね」
 とわれながら妙な声を出した。すると今までずッとわたしの奇妙な収穫物をみつめていた東屋氏は、
「……こいつア面白くなってきた。ねきみ、これが考えられずにいられるものか!」
 そう言ってわたしからその綱を取り上げると、
「何に使ったものか、聞いてみよう」
 と歩きだした。
 構内へ戻ると、ちょうど倉庫の前で三田村技手が、針金の束を引っ張り出してしきりになにかやっている。東屋氏は早速始めた。
「この綱は灯台のでしょう?」
「そうです。倉庫にいくらも入れてあるやつです。おや、こんな紐のついたのは……はて、どこから拾ってこられたんですか?」
 けれども東屋氏は答えようともしないで、しきりに暗《やみ》の空をふり仰いでいたが、やがて突飛もないことを訊《き》きだした。
「この灯台の高さは、ランプ室の床《ゆか》までで三十メートルでしたね。じゃあきみ、この綱の長さを計って下さい」
 三田村技手は、手もとの巻尺ではかり始めた。
「……綱も紐も、両方とも二十六メートルずつあります」
「なに二十六メートル?……待アてよ?」
 とまたしばらく闇空《やみぞら》を睨《にら》めていたが、
「ね、三田村さん。あの回転ランプの重量《めかた》は、どれぐらいあります?」
「さあ、一トンはあるでしょう」
「一トン……一トンというと二百六十六貫強ですね。じゃああのランプをグルグル廻しながら、三十六メートルの円筒内を下って来る、あの原動力の重錘《おもり》というか分銅は、随分重いでしょうね?」
「そうですね、八十貫は充分ありましょう……大きな石臼《いしうす》みたいですよ……そいつがジリジリ下まで降り切ってしまうと、また捲《ま》き上げるんです」
「なるほど、最近捲き上げたのはいつですか?」
「昨日の午後です」
「じゃあ今夜は、分銅はまだ塔の上のほうにあったわけですね?」
「そうです」
「いやどうも有難う。あ、それから、この無電室でちょっと一服やらしてもらいますよ」
 そう言って東屋氏は、わたしを引っ張って無電室へ入ると、ドアをしめて、
「さあきみ、少しずつわかって来たぞ。まずはぼくの組み立てた仮説を聞いてくれたまえ」

       四

 東屋氏はそばの椅子《いす》に腰をおろすと、一服つけながら、話し始めた。
「まず、化け物にせよ人間にせよ、とにかくあの不敵な狼藉者《ろうぜきもの》が、この太い綱の一方の端をあの塔の頂きのランプ室から、玻璃窓の下の小さな通風孔をとおして、外の高い岩の上へたれておく。それから下へ降りて来て岩の上で例の岩片《いし》をたれている太い綱の端でしばっておいてふたたび塔上へ登る。そしてランプ室においてあるほうの綱の端を、旋回機の蓋《ふた》をあけて、円筒内の頂きへほとんど一杯に上っている分銅の把手《とって》へ、かたわな[#「かたわな」に傍点、底本では誤って「かたわ」に傍点]結びというかひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びというか、とにかくそれで縛りつけ、そのちょっと引っ張ると解けるひっとき[#「ひっとき」に傍点]結びの短い一端へ、この細紐をこのとおりに結びつけて、さて旋回機のウィンチに捲きついているロープを、そうだ、あの手斧《ておの》で叩ッ切る。すると……」
「ああつまり釣瓶《つるべ》みたいだ」
 とわたしは思わず口を入れた。
「百貫近いその分銅のすさまじい重力を利用して、大石を暴れ込ましたというんですね。だが、そうすると、玻璃窓や機械のこわれる音とほとんど同時に、分銅の地響きがしなければなりませんが」
「もちろんその点も考えたよ」と東屋氏もつづける。
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