汐巻灯台は、とうとう決定的な異変をひき起したのだ。
 はじめ、正確に放たれていた十五秒ごとの閃光が、不意に不気味な不動光に変ったかと思うと、灰色のガスの中へなにか神秘的な光の尾を、そのままわずかに二秒ほども遠火のように漂わせて、それから急に、しかもハッキリと不吉な暗《やみ》に溶けこんでしまった。ただ、救いを求めるような霧笛だけが、ときどき低く重く、潮鳴の絶え間絶え間に聞えていた。
 さて――なんかといううちに、間もなく汐巻岬の突端にたどりついたわたし達は、光を失った三十メートルの巨大な白塔が、ガスの中からノッソリと見え始めたころ、不意に前方の闇《やみ》の中からものもいわずに歩いて来た二人の男に出会った。灯台の三田村無電技手と小使の佐野だ。
「……あ、皆様……」
 と小男の小使は、わたし達を認めると、すぐに走り出て声をかけた。
「これはこれはよく来て下さいました」
 すると三田村技手が、押しかぶせるように、
「故障で、無電がきかないんです。ちょうどこれから、試験所までお願いに上がろうと思っていたところです」
 なにか妙にそわそわしたぎこちない二人の物腰からわたしは、なみなみならぬ事件が起きたのだな、と思った。わたし達と一緒に、引き返して歩きながら三田村技手が言った。
「じつは、当直の友田看守が、ひどいことになったです。それがとても妙なんで、ま、風間さんが詳しくお話しするでしょうが」
 するとわたし達のうしろで、小使がふるえ声で突飛もないことをいった。
「とうとう、出ましただ」
「なに、出た?」
 と東屋所長が聞きとがめた。すると小使は、自分の言葉を忌むように二、三度首を横にふりながら、
「……はい……ゆ、幽霊が、出ましただ……」

       二

 やがてわたし達は、コンクリートの門をくぐって明るい灯台の構内へ入った。向って右側に並んだ小さな三棟の官舎や左側の無電室には、明るい灯がともっているが、真ン中の海に面した灯台の頭は真っ暗闇だ。地上の灯の余映を受けて、闇の中へ女角力《おんなずもう》の腹のようにボンヤリと浮き上ったその白塔の下では、胡麻塩髭《ごましおひげ》を生やして乃木大将然とした風間老看守が、色白な中年の女をとらえて、なにやらしきりに引き留めているような様子だったが、わたし達を認めると、ただちに小使の佐野に女のほうをまかせて官舎の方へ追い払うと、やって来た。
「あれは友田君の細君のあきさんです。ひどい心気|病《や》みですから、もう少し[#「もう少し」は底本では「もし少し」と誤植]落ちつかないことには、現場が見せられないんです。いやどうも、とんでもないことになりました」
 そう言って、風間老看守は、手燭《てしょく》の蝋燭《ろうそく》に火をつけようとするのだが、手がふるえて火が消えるので、何度も何度もマッチをすりつづけた。
 わたしは今までにも数回この老看守には会っているのだが、こんなに彼が蹌踉《そうろう》としているのを見たのは初めてだ。あの謹厳な古武士のようなおもかげは、いまはもう微塵《みじん》も見えず、蝋燭の焔《ほのお》を絶えず細かにふるわせながら、わたし達の先に立って、灯台の入口のドアをしずかに開きながら、ふり返って言った。
「……ま、とにかく、現場を一度見てやって下さい」
 そこで東屋所長とわたしと三田村技手の三人は、老看守の後につづいて、うす暗い階段室に入った。ところが塔内に入ってドアを締め終った老看守は今度は身をすりつけるようにして急に声をおとすと、訴えるように言った。
「……わたしは、生まれてはじめて、幽霊をみました……」
 あのしっかり者で聞えた風間老人までが、うって変ってこのようなことを言うのに、わたしは思わず身の固くなるのを覚えた。
「……いや、初めからお話しましょう」
 と風間老人は、わたし達の先に立って、暗い急な螺旋《らせん》階段を登りながら言った。その声がまた、長い高い塔内に反響して、なんとも言えない陰《いん》にこもった呟《つぶや》くような木霊《こだま》を伴うのだった。
「……わたしは今夜は非番でしたが、あの友田看守は、このごろ昼間無電のほうをチョイチョイ手伝いますので、つい疲れてときどき居眠りをするようですし、変な噂はたつし、それに、今夜はわたしの横着娘が少しばかり加減が悪いので、それやこれやで、どうも思うように熟睡出来ませんでしたが……それはちょうど、一時間ほど前のことです……まずわたしは、最初ゆめうつつの中で、突然屋根の上のほうでガラスの割れるような大きな音を聞いたのです。するとほとんどそれと同時に、おなじ方角で、なにかしら、機械でもこわれるようなはげしい金属的な音がいたしました。で、びっくりして飛び起きたわたしは、しばらく呆然《ぼうぜん》としておりましたが、なにしろ天井の方角でそのような
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