て間違ってはいない筈だ。だが、それにしても全く妙だ。而《しか》も蜂須賀巡査は、秋森家の双生児《ふたご》は犯人ではないと云ったぞ。すると、いったい犯人は誰だろう? 誰が主犯で、誰が共犯か? いや、もう一組他の双生児《ふたご》でもあるのかな? それとも……。
 雄太郎君は、いまはもう不可解への興味などと云うところは通り越して、そろそろ気味悪くなり始めた。そして同時に、蜂須賀巡査の捨台詞がグッと腹にこたえて来た。
 ――証人の責任問題? チェッ、飛んでもない迷惑だ。雄太郎君は悶々と悩み続けた。けれどもいくら考えて見ても、問題の解決はつかない。そして結局自分の力では二進《にっち》も三進《さっち》も勘考がつかないと悟った雄太郎君は、誰か力になって貰える、信頼の置ける先輩はないものか、と探しはじめた。
 ――ああ、青山喬介!
 雄太郎君は、ふと、自分の通っている学校へ、この頃ちょいちょい講義に来る妙な男を思い出した。
 ――そうだ。なんでもあの人は、かつて数回の犯罪事件に関係したこともあると云う。事情を打明けたなら、屹度《きっと》相談に乗って呉れるかも知れない……。
 そこで雄太郎君は、学校が退《ひ》けると早速青山喬介を訪ねて行った。
「あの事件は、もう解決済みじゃなかったかね」
 そう云って喬介は、無愛想に雄太郎君へ椅子を勧めた。けれどもやがて雄太郎君が、自分が証人として見聞した事実や、蜂須賀巡査の発見した新しい犯人否定説や、石塀の前の妙な出来事や、それからまた自分の証人としての困難な立場などを細々《こまごま》と打明けると、青山喬介はだんだん乗り出して、話の途中で二三の質問をしたり、眼をつむって考えたりしていたがやがて立上ると、
「よく判りました。力になりましょう。だが、その蜂須賀君とやらの云う通り、犯人は秋森家の双生児《ふたご》じゃあないね。……誰と誰が犯人かって? そいつは明日の晩まで待って呉れ給え」


          五

 翌日一日が雄太郎君にとってどんなに永かったことか云うまでもない。時計の針の動きがむしょう[#「むしょう」に傍点]にもどかしく、矢も楯も堪え切れなくなった雄太郎君は、やがて日が暮れて夕食を済ますとそそくさと飛び出して行った。
 青山喬介は安楽椅子に腰かけて雄太郎君を待兼ねていた。「今日、蜂須賀巡査と云うのに会って来たが、なかなか間に合いそうな男だね」喬介が云った。「この事件で、あの男の昇給は間違いなしだよ」
「じゃあもう、真犯人が判ったんですか?」
「勿論さ。昨晩君の話を聞いた時から、もう僕には大体判っていた。……なにも驚くことはないよ。ね、君。事情は大変簡単じゃあないか。……つまり、あの一本道で、君と郵便屋が、こちらから二人の犯人を追って行く。差配人が向うから来る。ところが犯人がいない。そこで、たったひとつの抜道である秋森家の勝手口を覗きこむ。すると、犯人の足跡がある。ところがだ。その足跡が、犯行よりずっと後からつけられたものであった、としたなら、一体どうなるかね?……」
「……犯人が、その時、勝手口から這入らなかったことになりますが……」
「そうだよ。そして、塀の外には、君達三人の男がいたんだ。……判るだろう?」
「……判るようで……判りません……」
「じれったいね……その塀の外に、犯人がいたんだよ……つまり、君達三人の中に、犯人がいたんだ!」
 ――冗談じゃあない! 雄太郎君は思わず声を上げようとした。が、喬介は押かぶせるように、
「君達三人の中で、犯行後チンドン屋が勝手口へビラを投げ込んで通りかかった時から、そのチンドン屋の知らせで蜂須賀巡査が馳けつけて足跡を発見するまでの間に、勝手口から邸内へ這入った男があったろう?……そいつが犯人だ」
「じゃあ、戸川差配人が犯人?」
「そうだ。ところで、戸川は何分位邸内にいたかね?」
「約五分? 位です。でも、差配人は、カバンを置きがてら急を知らせに……」
「そのカバンだよ。今日僕が、蜂須賀君と一緒に調べたのは。その中に、白い浴衣と黒い兵児帯が一人前這入っていたんだ!……つまり戸川は、皆んな午睡《ひるね》の最中に、電話で自分の女房を呼び出すと、君達証人の前で予め双生児《ふたご》の指紋をつけて置いた兇器で刺殺《さしころ》し、君達の目の届かない曲角の向うで、洋服の上へ着ていた浴衣を脱いでカバンへ突込むと、そ奴《いつ》を邸内へ置きにいった序《ついで》に、大急ぎで庭下駄の詭計《トリック》を弄し、女中達を叩き起したと云う寸法だ。……なんの事はない。秋森家の双生児《ふたご》と殺された女との醜関係から、警察が双生児《ふたご》に持たせた犯罪の痴情的動機を、僕は逆にそうして極めて自然に、女の夫である戸川弥市に持たせたまでさ」
「じゃあいったい、もう一人の共犯者は?」
「共犯? 共犯なんて始めからないよ」
「待って下さい。貴方は、僕の視力を無視するんですか? 僕はハッキリこの眼で、二人の犯人を……」
「いや、君がムキになるのも尤もだ。君の云うその共犯者はあの石塀の奇蹟と非常に深い関係があるんだ。そしてその奇蹟を発見《みつ》けた犯人が、そ奴《いつ》を利用して故意に君達証人、特に郵便屋のように一定の時刻にきっとあの辺を通る男の面前で、巧妙な犯罪を計画したんだよ。あ、どうしたんだ。君。頭が痛むのかね? いや、尤もだ。あの石塀の奇蹟に就いては、確かに不可解なことがあったんだ。もう、大体の見当はついてるんだが、一寸説明した位では迚《とて》も信じられまい。もう二三日待って呉れ給え。兎に角僕は、これから一寸警察へ行かなくちゃあならん――」
 さて、青山喬介が雄太郎君の頭痛の種を取り除いて呉れたのは、それから三日後のことだった。
 その日は恰度あの惨劇の日と同じようにひどく暑い日だったが、喬介と雄太郎君と蜂須賀巡査の三人は、午後の二時半の灼くような炎熱に打たれながら、秋森家の横の道路を歩いていた。が、やがて例の曲角まで来ると、喬介が云った。
「これから実験を始める。そしてそれは大丈夫成功するつもりだ。――僕達はいまからこの石塀に沿って、あの表門の前の、被害者の倒れていた位置まで歩いて行くんだ。そしてその位置についた時に、僕達の前方に、ポストが、あの見えない筈のポストが、若《も》しも見えて来たなら、それで奇蹟は解決されたんだ。いいかい。さあ歩こう」
 雄太郎君と蜂須賀巡査は、まるで狐にでも憑かれたような気持で歩きだした。……五間……十間……十五間……もう秋森家の表門迄は、余すところ五間、だがそれも軈《やが》て……四間……三間……と、ああ、とうとう奇蹟が現れた!
 まだ被害者の倒れていた位置までは三間近くもあろうと云うのに、カーブを越して三十間も向うのアパートの前にある筈の赤いポストが、いともクッキリと、鮮かな姿を石塀の蔭から現わし始めた。そして三人が前進するに従って、その姿は段々と完全に、そして遂に石塀の蔭から離れた。と、なんと云う事だ。そのポストに重なるようにして、もう一つ同じようなポストが見えだして来たのだ。そして三人が表門の前に立った時には、二つの赤いポストがヒョッコリ並んで三十間の彼方に立っていた。雄太郎君は軽い眩暈《めまい》を覚えて思わず眼を閉じた。と不意に喬介が云った。
「見給え、郵便屋の双生児《ふたご》がやって来る!」
 ――全く、見れば霜降りの服を着て、大きな黒い鞄を掛けたグロテスクな郵便屋の双生児《ふたご》がポストの側からだんだんこちらへやって来る! だが、不思議にもその双生児《ふたご》は、三人に近付くに従って双生児《ふたご》からだんだん重なって一人になりはじめた。そして間もなく其処には、あの実直な郵便配達夫が何に驚いたのか眼を瞠《みは》って、じっとこちらを見詰めたまま立停っていた。
「ああ、蜃気楼だな!」不意に雄太郎君が叫んだ。
「うん、当らずと雖《いえど》も遠からずだ」喬介が云った。「つまりひとつの空気反射だね。温度の相違などに依って空気の密度が局部的に変った場合、光線が彎曲《わんきょく》して思いがけない異常な方向に物の像《すがた》を見る事があるね。所謂《いわゆる》ミラージュとか蜃気楼とかって奴さ。そいつの、これは小規模な奴なんだ。……今日は、あの惨劇の日と同じように特に暑い。そしてこの南向の新しい大きな石塀は、向いの空地からの反射熱や、石塀自身の長さ高さその他の細かい条件の綜合によって、ひどく熱せられ、この石塀に沿って空気の局部的な密度の変化を作る。するといま僕達の立っている位置から、あのポストの附近へ通ずる光線は、空中で反射し屈折しとてつ[#「とてつ」に傍点]もない彎曲をして、ひょっこり『石塀の奇蹟』が現れたんだ」そして喬介は郵便屋を顎で指して笑いながら、「……ふふ……見給え。規定された距離を無視して近付いた郵便屋さんは、もう双生児《ふたご》ではなくなって、恐らく先生も、いま僕達の体について見たに違いない不思議に対して、あんなに吃驚《びっくり》して立ってるじゃあないか。……兎に角、もう三十分もして、一寸でも石塀の温度が下ったり、この実に珍らしい奇観を作り上げている複雑な条件が一つでも崩れたりすると、もうそれで、あのポストも見えなくなってしまうよ……やれやれ、これでどうやら君の頭痛もなおったらしいね」
[#地付き](〈新青年〉昭和十年七月号)



底本:「とむらい機関車」創元推理文庫、東京創元社
   2001(平成13)年10月26日初版
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
   1936(昭和11)年
初出:「新青年」
   1935(昭和10)年7月号
入力:土屋隆
校正:大阪のたねまろ
2007年7月26日作成
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