《ひろし》に実《みのる》、年齢《とし》は二人とも二十八歳。――明かに双生児《ふたご》だ。
 一瞬、人々の間には気|不味《まず》い沈黙が漲《みなぎ》った。が、すぐに郵便屋が、堪えかねたように顫える声で叫んだ。
「こ、この人達に、違いありません」
 そこで司法主任は、一段と厳重な追求をはじめた。ところが秋森家の双生児《ふたご》は、二人ともつい今しがたまで裏庭の藤棚の下で午睡《ひるね》をしていたので、なにがなんだかサッパリ判らんと答え、犯行に関しては頭から否定した。前庭などへ出たこともない、とさえ云った。
 そこで二人の女中が改めて呼び出された。ところがナツと呼ぶ歳上のほうの女中は、老主人の係りで殆んど奥の離れにばかりいたから、母屋のことは少しも判らないと答え、キミと呼ぶ若いほうの女中は、二人の若旦那が藤棚の下で午睡《ひるね》をしていられたのは確かだが、実は自分もそれから一時間程|午睡《ひるね》した事、尚事件の起きあがる少し前頃に何処からか電話がかかって来て、家政婦のそめ子が留守を頼んで出て行ったが、何分夢うつつでボンヤリ寝過してしまい申訳もありませんと答えた。
 このように女中の証言によっても、双生児《ふたご》の現場不在証明《アリバイ》は極めて不完全なものであったし、何よりも悪いことには、訊問が被害者の戸川そめ子の問題に触れる度に、双生児《ふたご》は何故か妙に眼をきょとつか[#「きょとつか」に傍点]せたり臆病そうに口籠ったりした。この事は明かに係官の心証を損ねた。そして司法主任は、双生児《ふたご》の指紋と、押収した兇器の柄に残された指紋との照合による最後の決定を下すために、警視庁の鑑識課へ向けて部下の一人を急がした。


          三

 さて、一方足跡の番人を仰せつかった新米の蜂須賀巡査は、奉職してから初めての殺人事件に、もう一番手柄を立てたかと思うと、内心少からぬ満足で、こうなるとそろそろ商売は可愛らしく、後手を組んで盛んに合点しながら、足跡の線をあちらへブラリこちらへブラリと歩き廻っていた。
 こうして研究してみると、足跡などもなかなか面白い。例えば――、蜂須賀巡査は勝手口の小門の近くに屈み込んで、庭下駄の跡に踏みつけられた一枚の桃色の散《ちらし》広告を見ながら考えた。――例えば、この広告ビラは、小門の方を向いた庭下駄の跡に踏みつけられているのだから、庭下駄の主が庭の植込から出て来て、この小門を脱け出て行く際に踏みつけられたものに違いない。――ふむ。カフェーの広告だな。ルパン……ルパン? はて、聞いたことのある名だぞ?……
 何に気づいたのか、急に蜂須賀巡査は立ちあがった。そして額口に激しい困惑の色を浮べながら、暫くじっと立止っていたが、やがて訊問をすまして台所へ出て来た女中のキミを見ると、歩みよって声をかけた。
「君。ちょっと訊くがね。この家へは、新聞や散《ちらし》広告は、どこから入れるかね?」
「え、新聞?」と彼女は体を起してエプロンで手を拭きながら「新聞は、その小門を開けて、台所《ここ》まで届けて呉れますわ。郵便もね。でも、広告などは、その小門を一寸開けて、そこから投げ込んで行きますが」
「成る程。有難う」
 蜂須賀巡査は大きく頷いた。けれどもその顔色は見る見る蒼褪め、額口には一層激しい困惑の色を浮べて今までの元気はどこへやら、下唇を堅く噛みしめながら、顫える指先で盛んに顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりをトントンと軽く叩きながら、塑像のように立竦《たちすく》んでしまった。
 ――妙だ……つまりここから、散《ちらし》広告が投げこまれる……それから犯人が女を殺しに出かける途中で、投げこまれたこの広告を踏みつける……それでいいか? それでいいのかナ?……駄目駄目。サッパリ理窟が合わんぞ! 蜂須賀巡査は頻《しき》りに苦吟しはじめた。
 するとそこへ、取調べを終った司法主任の一行が、宏と実の双生児《ふたご》を引立てて意気揚々と出かけて来た。蜂須賀巡査は急にうろたえはじめた。そしてどぎまぎした調子で司法主任へ云った。
「待って下さい。ちょっと疑問があるんです」
「なんだって?」司法主任は乗り出した。「疑問? 冗談じゃあない。随分ハッキリしてるぜ。鑑識課から電話があったんだ。兇器の柄の指紋と、秋森宏の指紋がピッタリ一致しているんだ!」
 ――蜂須賀巡査は、手もなく引退《ひきさが》った。
 やがて一行は引揚げて行った。そして秋森家の双生児《ふたご》は殆んど決定的な犯人として警察署へ収容され、事件は一段の落着を見せはじめた。
 ところが、虫がおさまらないのは蜂須賀巡査だ。夕方の交代時間が来て非番になると、相変らず悶々と考え続けながら秋森家へやって来た。そして勝手口の例の場所で、先刻《さっき》の女中に立会って貰うと、庭下駄の跡に踏みつけられた広告ビラの前へ屈み込んで、もう一度改めて考えはじめた。
 ――「カフェー・ルパン」の広告ビラ。これは確かにあのチンドン屋の撒き捨てていったものに違いない。すると、この広告ビラが先に投げ込まれたのか? それとも二人の犯人が先にここを通ったのか?……けれども目前の事実はビラが先に投げ込まれて、その後から二人の犯人が出て来て、庭下駄で知らずにビラを踏みつけた、としか解釈出来ない。そうだ。この事実に間違いはない。すると……すると、チンドン屋は、犯人がこの小門を出て行く前に、つまり惨劇の起きるより先に、この門前を通ったことになる……それでいいか? それでいいのか?……駄目駄目。チンドン屋は、事件の後から通った筈だ。……まるで理窟になっとらん!
 蜂須賀巡査は苛立たしげに立上った。
 ――そうだ。兎に角、一度チンドン屋に当ってみよう。そしてあのチンドン屋が、ひょっと犯行の前にも此処を通ったかどうか? まずあり得ない筈だが、念のために確かめてみよう。
 そこで蜂須賀巡査は秋森家を出て、石塀沿いに東の方へ歩きだした。
 ――若《も》しも、思った通りチンドン屋が、犯行後にビラを投げ込んだのが確かであったなら……あの犯人の足跡は……そうだ。恐ろしい罠だ。恐ろしい詭計だ……。
 蜂須賀巡査は、考え考え歩き続けた。ところが、茲《ここ》ではからずも蜂須賀巡査は、またしてもひとつの不可解な問題にぶつかってしまった。
 恰度秋森家の表門の前の犯行の現場まで来ると、何に驚いたのか蜂須賀巡査は不意に立停ってしまった。そしてじっと前方を見詰めたまま、頻りに首を傾げ始めた。が、やがていまいましそうに舌打すると、少からず取乱れた足取で大股に歩き始めた。そしてアパートの前まで来ると、さっさと玄関へ飛び込んで、受付へ、
「吉田雄太郎君を呼んで呉れ給え」
 と云った。
 訊問の立会で神経がくたくたに疲れてしまった雄太郎君は、自分の室で思わずうつらうつらしていたが、吃驚《びっくり》して飛び起きると大急ぎで階段を降りて来た。そして蜂須賀巡査の顔を見ると、
「また何か起ったんですか?」
「いや、なんでもありませんが、一寸|貴方《あなた》に訊き度い事があるんです。済みませんが、一寸そこまで」
 そう云ってもう歩き出した。
「いったい何です?」
 雄太郎君は蜂須賀巡査の後に従いながら、急きこんで尋ねた。けれども蜂須賀巡査は、そのままものも云わずに歩き続け、やがて秋森家の表門の前まで来て鋪道の上の先刻《さっき》の処に立停ると、振返っていきなり云った。
「いま、私達の立っている処が、現場、つまり被害者の倒れていた処でしょう?」
 雄太郎君は、この突飛もない判りきった質問に思わずギョッとなった。そして顫えながら大きく頷くと、蜂須賀巡査は、今度は探るような眼頭《めがしら》で雄太郎君を見詰めながら、
「僕は、君を、真面目な証人として信じているが、君はあの時確かに、アパートの前のポストのすぐ側に立っていて、此処に被害者の倒れていたのを見たと云ったね?」
「そうです」雄太郎君は思わず急きこんで、「嘘と思われるなら、郵便屋にも訊いて下さい」
「ふん、成る程。すると、此処から向うを見れば、鋪道の縁に立っているそのポストは、当然見えなければならない筈だね?……どうです。ポストが見えますか?……」
 雄太郎君は途端に蒼くなった。ナンと雄太郎君の視線の届くところ、そこにはポストの寸影すら見えないではないか! ポストより数間手前にある筈の街燈が、青白い光を、夕暗《ゆうやみ》の中へボンヤリと投げかけている以外には、大きくカーブしている高い石塀の蔭になって、まるで呑まれたようにポストの影は見えないではないか!
 蜂須賀巡査は、雄太郎君の肩に手をかけながら、顫える声でいった。
「君、いったいこれは、どうしたと云うのだ!」


          四

 そんなわけですっかりあが[#「あが」に傍点]ってしまい、その晩殆んど一睡もせずに考え続けてしまった雄太郎君は、けれども翌朝早くから蜂須賀巡査に叩き起されると、ひどく不機嫌に着物を着換えて部屋を出た。
「一寸手伝って貰いたいんですがね」と階段を降りながら、急に親しげな調子で新米巡査は口を切った。「昨晩は、僕だって少しも眠れなかったです。あれから僕は、一晩中飲んだくれのチンドン屋を探し廻ったんですよ。その結果、これはまだ内密《ないしょ》の話なんだが、大変な発見をしたんです。……つまり、犯行の暫く後にあそこを通ったチンドン屋の広告ビラを、二人の犯人が、例の庭下駄で踏みつけているんです。だから、ね、君。あの庭下駄の跡は、二人の真犯人が犯行の際につけたものではなくて、あれは、犯行の後から、故意に、あの双生児《ふたご》を陥し入れるためにつけられた、恐ろしい詭計《トリック》なんですよ。真犯人は、誰だかまだ判らないが、兎に角、あの秋森家の双生児《ふたご》は、決して真犯人ではないね!」
 そしてアパートを出ながら、驚いている雄太郎君には構わずに、急に憂鬱になりながら、
「ところが、署では、僕の意見など、てんで問題にされないですよ……証人はあるし、証拠は挙がっているし、それになによりも悪いことには、その後取調べの結果、あの双生児《ふたご》の二人と殺された家政婦との間に、醜関係のあった事がばれ[#「ばれ」に傍点]たんです。一寸驚いたですね。殺された女が、報酬を受けてそんな関係を持っていたのか、それとも、女自身の物好きな慾情から結ばれたものか、いずれにしても、その醜関係が有力な犯罪の動機にされたんです。そこへもって来て、ほら、昨晩のあれでしょう。全く腐っちまうね……だが僕は、こんなところで行詰りたくない」
 やがて秋森家の門前へつくと、蜂須賀巡査はポケットから大きな巻尺を取り出し、雄太郎君に手伝わして、昨晩のあの石塀の奇蹟に就いての最も正確な測量を始めた。けれどもいくら試みても、ポストの処から、被害者の倒れていた地点は、緩やかにカーブしている石塀に隠れて見えない。同様に、被害者の倒れていた処からも、ポストは見えない。蜂須賀巡査は、とうとう巻尺を投げ出して云った。
「吉田君。もう一度だけ訊くが、これが最後だから、どうか僕を助けると思って、頼むから正直に云って呉れ給え。ね。君は確かに、あの郵便屋と二人で、このポストの直ぐ側に立っていて、犯行の現場を見たんだね?」
 雄太郎君は、この執拗きわまる蜂須賀巡査の質問に、思わずカッとなったが、虫をころして昨晩の通り返事をした。
「ふん、やっぱりそうか……いや、疑って済まなかったね」蜂須賀巡査は巻尺を仕舞いながら云った。「すると、どうしてもこの長い石塀は、あの時より、少くとも三尺は道路の方へ飛び出している事になる……全く、馬鹿げた事だ……いや、どうも有難う」と雄太郎君に会釈しながら、「だが、兎に角こ奴《いつ》は、ひょっとすると証人の責任問題になるかも知れませんから、その点心得ていて下さい」
 そう云って蜂須賀巡査は、いささか気色ばんで帰って行った。
 ――困ったことになったぞ。と雄太郎君は溜息をつきながら、――ひょっとすると、俺のほうが間違っていたかな? いやいや、断じ
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