火葬場へ行く自動車の行列を眺めたり、電柱の鴉を見詰めたりしながら、絶えず右足の爪先で前の羽目板をトントンと叩く癖を持っていた。この癖は非常に執拗で、だから「トントン」のいつも立っている窓の下の畳の一部は、トントンとやる度毎の足裏の摩擦でガサガサに逆毛《さかげ》立ち、薬研《やげん》のように穿《ほじ》くれていた。
 二号室の男は、(断って置くが、患者が少くなってから各室に散在していた三人の狂人は、なにかと看護の便宜上最も母屋に近い、一、二、三号室に纏《まと》めて移され、四号室から残りの十二号室までは全部空室になっていたのだ。)さて二号室は「歌姫」と呼ばれ、いい髯面の男だてらに女の着物を着て可憐なソプラノを張りあげ、発狂当時覚えたものであろう古臭い流行歌《はやりうた》を夜昼なしに唄いつづけては、われとわが手をバチバチ叩いてアンコールへの拍手を送り、送ったかと思うとケタケタと意味もなく笑い出したりした。
 次に三号室は「怪我人」と呼ばれ、決してどこも怪我をしているわけではないのだが、自《みず》から大怪我をしたと称して頭から顔いっぱいに繃帯を巻き、絶対安静を要する意味でいつも部屋の中で仰向きに寝
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