三の字旅行会
大阪圭吉
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)到着《とうちゃく》した
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)商売|敵《がたき》だと
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)きっかけ[#「きっかけ」に傍点]というのは、
−−
一
赤帽の伝さんは、もうしばらく前から、その奇妙な婦人の旅客達のことに、気づきはじめていた。
伝さんは、東京駅の赤帽であった。東海道線のプラット・ホームを職場にして、毎日、汽車に乗ったり降りたりするお客を相手に、商売をつづけている伝さんのことであるから、いずれはそのことに気がついたとしても不思議はないのであるが、しかし、気がついてはいても伝さんは、まだそのことについて余り深く考えたことはなかった。
なんしろ、一日に何万という人を、出したり入れたりする大東京の玄関口である。一人や二人の奇妙なお客があったとしても、大して不思議に思うほどのことはないのであるし、第一、一旦列車が到着《とうちゃく》したとなれば、もう自分のお客を探すことで心中一パイになってしまい、まったくそれどころではないのであった。だから伝さんが、その婦人客達のことについて考えこむようなことがあったとしても、それは精々、お客にでもあぶれた退屈な時くらいのものであった。
ところで、伝さんの気づきはじめた婦人客達というのは、成る程考えてみれば、全く奇妙な旅客達であった。
それは、東京駅から汽車に乗る客ではなく、東京駅で汽車から降りる客の中にあって、殆んど毎日きまって、一人ずつ現れるのであった。毎日、違った顔の婦人ばかりで、容貌といい身装《みなり》といい、それぞれ勝手気儘で、ほかの婦人客と別に違ったところがあるようでもなかったが、しかし必らずその客は、東京駅着午後三時の急行列車から降りるのであった。そして、よく気をつけてみると、必らずその急行列車の前部に連結された三等車の、前から三輛目の車から降りて来るのであった。しかも、いつでもその婦人客達には、一人の人の好さそうな男が出迎えに出ていて、その出迎えの男に持たせる手荷物には、きまって、赤インキで筆太に、三の字を書いた、小さな洒落《しゃ》れた荷札がついているのであった。
旅客の持っている手荷物、乃至《ないし》は手荷物を持っている旅客のお蔭で、オマンマを食べている赤帽の伝さんである。成る程、一見普通の婦人客と区別のつかないような平凡な婦人なぞいつでも満員で、降車客もゴッタ返すような混雑を呈するとはいいながらも、その妙な三の字を書いた荷札つきの手荷物を持った、三時の急行の三等車の三輛目の婦人客に、いつからともなく気がついたとしても、不思議はないのであった。
尤も、伝さんが、いちばんはじめその妙な婦人達のことに気のついたきっかけ[#「きっかけ」に傍点]というのは、必らずしもその手荷物ばかりでなく、いつもその手荷物を持たされる、例の人の好さそうな出迎えの男にもあった。
その男は、成る程人の好さそうな顔をしてはいたが、余り風采の立派な男ではなかった。いつでも薄穢《うすよご》れのした洋服を着て、精々なにかの外交員くらいにしか見えなかった。毎日三時少し前になると、入場券を帽子のリボンの間に挾んで、ひょっこりプラット・ホームへ現れ、ほかの出迎人の中へ混って、汽車の着くのを待っているのであった。汽車が着くと、男は必らず三等車の三輛目の車へはいって行って、やがて、例の奇妙な婦人客のお供をして降りて来るのであるし、そのお客が男を従えて降りて来る頃には、もう伝さんは自分のお客のことで一生懸命になっているので、その顔を見覚えることなぞ到底出来よう筈もないのであるが、出迎えの男のほうは、なにしろ殆んど毎日のことであるので、いつの間にか顔も見覚えていたのであった。
二
最初のうち伝さんは、その出迎男《でむかえおとこ》を、何処かインチキなホテルの客引かなんかであろうと考えた。そして、五月蠅《うるさ》い商売|敵《がたき》だと思った。しかし、だんだん日数が重なるにつれて、どうも只《ただ》の客引にしては少し腕がよすぎると感づき、つづいて手荷物の三の字と、三時の三等車の三輛目に気がついて、どうやらこれは只の客引なぞではなく、何か曰《いわ》くのある団体の、一種の案内人――といったようなものではあるまいかと、考えなおすようになったのであった。そして結局、伝さんの疑問の中心は、まずその、毎日三時の汽車で上京して来る奇妙な婦人客の上へ、注がれるのであった。
――妙な女達だ。よくよく三という字に、惚れくさ[#「くさ」に傍点]っているらしい。伝さんは、あせらずゆっくり考えた。
しかし、もともと余り物事を深く考えることの得意でない伝さんは、いつまでたっても、この問題に解決を与えられそうな、名案を、考え出すことは出来なかった。
そうして、いつの間にか、一月二月と時間が流れて行った。しかもその間、例の三の字気狂いの婦人客は、殆んど毎日のように三時の急行の三等車の三輛目でやって来て、相変らず出迎男を従えて、改札口のほうへ出て行った。考えてみれば、どうもこれは容易なことではない。もういままでに、一日一人で、百人近くのいろいろな婦人達が、気狂いじみたやりかたで上京しているのだ。それも、そもそも伝さんがその事に気づいてからの、大体の計算であって、この奇妙な旅行者達が、まだ伝さんの気づかなかった先からこのようなことを続けていたのだとしたなら、いったい何百人の気狂いが、同じように奇怪な方法をとって上京しているのか、判らない。伝さんは、なんだか恐ろしくなって来た。三という数字に関したものを、思っても見ても考えても、ヘンに気持が苛立《いらだ》って来て、そろそろ一人でこのことを包み隠している負担に堪えられなくなって来た。
そこで伝さんは、とうとう思い切って、例の奇妙な「案内人」にわたり[#「わたり」に傍点]をつけてみようと決心した。
或る日午後三時十分前。例によって、ひょっこりプラット・ホームに現れ、多くの出迎人の後へ立ってボンヤリ三時の急行を待っていたその男へ、伝さんは、何気なく近づいて声をかけた。
「毎日ご苦労さんですね」すると男は、急に変テコな顔になった。そしてひどくあわてた調子で、
「いやどうも、毎日のお客様で、やり切れませんよ」
そういって、同情を乞うような目つきで、伝さんの顔を見た。伝さんは、すかさずいった。
「いや、わしもこれで、二十年も赤帽稼業をしているから、お客様を待つ気持のつらさというものは、よく判るですよ。……時に、無躾《ぶしつけ》なことをお聞きするが、あんたのお客さんは、どうもまことに、不思議なお客さんばかりですね」
男は黙ったまま目を瞠《みは》って、一層変テコな顔をした。
三
「いや、どうか悪く思わないで下さいよ。わしはどうも物好きな性分でね。なんしろ、あんたの毎日のお客様を、それとなく拝見しているに、どうも、時間といい、客車《はこ》といい、切符といい、荷札といい、どれもこれも三の字にひどく関係の深い御婦人達のように思われてね。これには何か、面白い因縁|咄《ばなし》がおあンなさるんじゃねえかと、ついその、物好き根性が頭をあげて、お聞きしたいんですよ」
男は、前より一層困ったような顔をして、しばらく黙ったまま立っていたが、やがて、思い切ったように小声で切り出した。
「実は、お察しの通りですよ。私は、三の字旅行会というのに使われている、ま、一種の案内人といったような者ですがね。なんしろ雇人《やといにん》ですから、深いことは知りませんが、お察しの通り私のお客様には、その三の字旅行会という会との間に、一風変った因縁咄があるんですよ」
「ほほう。そいつア是非とも、お差支なかったら、伺いたいものですね」
伝さんは思わず乗り出した。だがこの時、三時の急行列車が烈しい排気《エキゾースト》を吐き散らしながら、ホームへ滑り込んで来ると、
「じゃあ又この次お話しいたしましょう」
男は云い残して、いつものように三等車の三輛目へ乗り込み、今日はいつもより一段と美しい、年の頃二十八、九の淑《しと》やかな婦人のお供をして、大きなカバンを提げながら、改札口のほうへ向って、神妙に婦人のあとから地下道の階段をおりて行った。伝さんも、お客が出来て急に忙しくなったので、その日はひとまずそのままで、忘れるともなく過してしまった。
さて、その翌日、三の字旅行会の案内人は、いつものように到着ホームへやって来ると、何分自分は、一介の雇人であるから、詳しい話は知らないがと、伝さんへ念を押して、昨日の続きをやりだした。が、その話は仲々の永話で、とても汽車を待っている位の短い間で、一度に聞かれるようなものではなく、それから三日四日と度《たび》を重ねて、やっと聞かされ終ったところによると――なんでも、その三の字旅行会というのは、只の営利的な旅行協会みたいなものとは全然違って、一種の慈善的な奉仕会であって、陰徳を尊ぶ会長の趣意に従って、会長の名前にしろ、全然秘密であるが、大体その会の仕事というのは、或る一定の地方に住っている両親のない三十歳以内の婦人で、東京方面へ旅行をしたいという人の為めに、汽車賃と滞在費と、それから小遣いの三通りの経費を全部提供して、全く無料の暢気《のんき》な旅をさせようという、まるで嘘みたいな話であった。尤も、それだけに条件も一寸面倒臭く、いま云ったような資格者で、その地方にあるその会の支部長の推薦がなければならないのであった。なんでもその支部長というのも、その地方ではかなり人望のある慈善家だそうであるが、その支部長の推薦を受けた、資格のある志望者は、例の三の字のマークを貰って、それを手荷物へ着け、東京着三時の三輛目へ乗って、上京しなければならないのであった。すると、それを目印にしてその案内人が迎えに出かけ、三時三十分までに会の事務所まで案内されて行くと、恰度その時間にやって来た会長が、その客の旅行に要する経費を、尤もこれは三百円以内でないといけないそうであるが、兎に角その金を渡してくれるのであった。条件といってもそれだけで、もうそれからは、自分の勝手に好いたように遊び廻るなり、用事をするなり、することが出来るのであって、幾日滞在しようと、何処へ泊ろうと、いつ東京を引揚げようと、全く勝手で案内人も見送りしなくてもいいことになっている、という事であった。ところで、その会長というのが、これが又昔は只の貧乏人であったそうであるが、いまはなかなかの金持で、もう相当な年寄りであるが、或る事情でその会を始めるようになってからは、降っても照っても必らず毎日午後の三時三十分には事務所へ出て来て、案内されて来た客に面会するのであった。面会といっても、僅か三分間くらいのもので、会長はただ金を渡すだけでサッサと帰ってしまう。それで、一日に一人しか、案内出来ないことになっているとのことであった。
ところで、その奇徳な覆面会長が、何故このように妙な奉仕会を始めたか、そして又、何故そんなに三の字づくしのサービスをするのか、その根本的な事情について、ひと通りの話を聞いた伝さんが、質問の矢を向けると、三の字旅行会の案内人は、しんみりした調子に改まって、こんな風に説明したのであった。
「……そうそう、あなたも、定《さだ》めしその点、不思議に思われたことでしょうね。いや、こいつは私も、会の会計をしている方から又聞きしたことですから、全く詳しいことは知らないんですが、何んでも会長は、まだ貧乏していた若い頃に、自分のところへ引取ることの出来ないような子供をこしらえたんだそうですよ。女の子で、三枝《みつえ》という名前をつけたそうですがね、ところが、それがそもそもこの因縁咄の起《おき》はじまりで、最初は、母親の手許で育てられたんだそうですが、その娘さんの三つの歳に、可哀相に母親はふとした病気がもとで死んでしまい、娘さんは、関西
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング