方面の、或る慈悲深い人の手に渡って、育てられることになったんですが、ところがこの娘さんが又、育つにつれて大変利口な子供になり、学校へ上るころには、もう自分の身の上をそれとなく気づいてでもいたのか、しきりと東京の空を憧れるようになったんです。ところが悪いことには、三枝さんは生れつきの病身で、成長するにつれて段々弱くなり、女学校を出る頃にはすっかり病気になって、もう床についたまま起きることも出来ない様になってしまったんだそうです。――肺病の一種じゃアないかと、私は思うんですがね。それで、ま、時には良くもなったり軽くもなったりしたでしょうが、兎に角憧れの東京へ出て来る程の体にはなれず、殆んど病床にばかり暮して、そのまま十年の月日がたってしまい、恰度三十の歳の三月に、とうとう病気に負けてしまい、東京へ行き度い行き度いと叫びながら死んでしまったんだそうですよ。ところで、もうその頃、東京の父親は、幸運に恵まれて大変な金持になっていたんですが、ふとしたことからその娘の育ての親にめぐり会い、娘の亡くなるまでの可哀想な話を初めて聞かされると、あとに子供の一人もない父親は、気も狂わんばかりに驚き打たれて、それまでは金儲けのことしか考えなかった頑固な心に大変動が起り、可哀想な娘の菩提《ぼだい》をとむらうことに自分の全財産を投げ出そうと決心したんです。それでまア、その可哀想な娘の名前と、その運命にまつわる奇妙な三の字に因んで、『三の字旅行会』を作りあげ、育ての親であるその慈悲深い人を支部長に仕立てて、その人の推薦に従って毎日一人ずつ、物質的には兎も角、親のない淋しい三十歳以下の婦人で東京へ旅行したい人達を、三の字会員として、三の字づくしのサービスをするという――まア、大体そんな風な事情のように、私は聞いておりますがね。いやどうも、永話をいたしましたが、これでまず、私の奇妙なお客さん達と、三の字旅行会の関係がお判りになったでしょう。……ところで、ひとつお願いしときますが、何分《なにぶん》前にも申上げたように、会長は隠れた徳を尊ばれる方ですから、私の申上げたお話も、どうかあなたの胸にだけに収《おさ》めていただいて、余り外へお洩らしにならないようにして下さい。……おや、どうやら列車がやって来ましたね」
 そういって、その奇妙な案内人は、永い話に結末をつけると、感じ入って立ち呆《ぼ》けている伝さんへ、軽く会釈を残して、その日のお客を迎えるべく、到着した列車のほうへ馳け去って行くのであった。

          四

 伝さんは、この話を四日に亘《わた》って聞かされた。一日一回が、ほんの五分か十分の短い間であったが、それでも伝さんは、不思議な話を聞くうちに、その四日間というものは、まるで続き物の講談でも聞いている時のような、楽しさにひたる事が出来たのであった。
 そしてそんなことがあってからは、伝さんと三の字旅行会の案内人とは、急に友達のように親しくなって来た。と云っても、二人が顔を合せるのは、ほんの短い間のことであるし、二人ともそれぞれに自分のお客を持っている体なので、別に毎日親しく話し合うというようなことは出来なかったが、お互いに顔を見合わせるような時には、快よく挨拶しあうようになって来た。伝さんは、その案内人と、その背後にある旅行会と、そしてその会の果報なお客さん達の持っている、いうにいわれぬ劇的な雰囲気の中へ、自分も一本加わっているような気持がした。考えてみれば、伝さんの大勢の仲間の中で、この話を知っているのは、どうやらまだ伝さん一人だけらしい。伝さんは、なんだかそれが、得意にさえ思われてならなかった。そうして、十日二十日と、日がたって行った。
 ところが、このままで済んでしまえば、まず何でもなかったのであるが、ふとしたことから、伝さんと三の字旅行会の案内人との、ひそかな親交を、ブチ破ってしまうような、飛んでもない事が持上ってしまった。
 或る日のこと。赤帽|溜《だまり》で昼飯を食べていた伝さんのところへ、降車口の改札係の宇利《うり》氏が、ひょっこりやって来て、いきなり云った。
「伝さん。お前さんは赤帽の親分だから、知ってるかも知れないが、毎日三時の汽車で一人ずつやって来て、いつも同じ男に出迎えられて行く女のお客さん達があるようだが、知ってるかい?」
「ええ、知ってます」
「どうだい、何かおかしなところがあるとは思わないかね?」
 そこで伝さんは弁当を置くと、口の中のものをゴクゴク呑み込んで、やおら向き直り、
「大有りですとも。三の字旅行会の因縁咄という奴で……。知っているのはこのわしだけ。しかも口止めされているんですが、宇利さんになら、こっそりお話してもよござんしょう」
 もう伝さんは、そろそろ心中の得意を、誰かに聞かせてやりたく思っていた矢先だったので、宇利氏の突然の質問に、わけもなく調子込んで、先日案内人から聞かされた話を、残らず得意になって喋ってしまった。すると聞き終った宇利氏は、ニッコリ笑いながら立上って、
「有難《ありがと》う。ところで、伝さん。折入って頼みたいのだが、今日の三時に、改札の僕の側へ立っていて貰えまいか。手荷物五つ分の手間賃を払うよ。ね、頼むぜ。いいだろう」
 伝さんは、むろん二つ返事で引受けた。何のことかは知らないが、兎に角、手荷物五つ分の稼ぎである。
 やがて、三時がやって来た。字利氏の後ろでボンヤリ伝さんの立っている改札口へ、三時の急行の旅客達が、雪崩《なだ》れのように殺到して来た。伝さんは、ふと背伸びをして、旅客達のほうを眺め廻した。
 今日の三の字旅行会のお客は、まだ二十を二つ三つ過ぎたばかりの、洋装の娘であった。例の案内人に大きなトランクを持たせて、晴ればれした顔をしながら、真ン中辺を、だんだんこちらへやって来る。宇利氏は、いったい何をしようというのだろう。伝さんは、なんだか急に心配になって来た。
 ところが、やがてその洋装娘が、宇利氏の前までやって来て切符を差出すと、受けとった宇利氏は、娘をやり過して置いて、いきなり手を前に出し、あとから神妙について来て、伝さんへ目で挨拶しながら通り抜けようとした案内人を、ピタリさしとめた。
「一寸、あなた待って下さい。すぐ済みますからこちらへ寄っていて下さい」
 宇利氏は早口にそう云って、手早く案内人を伝さんのほうへ押しやると、もう後の人の切符を忙しく受取りはじめた。
 案内人は急にあわて出した。何か口の中でモグモグ云いながら人ごみの中へ押入るようにしながら入場券を宇利氏の手へ差しつけるようにして、出口から五|間《けん》も向うへ行ったところで後ろを振返って立止っている例の娘のほうを顎で指し、
「お、お客さんの荷物を持ってるんですから、と、とおして呉れなきゃア困るですよ」
 すると宇利氏は、黙ったまま再び案内人を伝さんのほうへ押しやりながら、非常な早さで案内人の手からトランクを取り上げると、伝さんへ、きびしい語調で、
「じゃア伝さん。君この荷物を、あのお客さんに上げて呉れ」
「いやいや、これは私の役目じゃから、私が持って行かねばならん」
「伝さん。早くしてくれ。この方には一寸用があるんだから、荷物は君からお客さんに上げて呉れ!」
 もう向うむきになって、仕事を続けながら、叱るように云うのであった。
 改札係といえば、伝さん達よりは段違いの上役である。伝さんはピリッとして、トランクを持ったまま本能的に柵を飛び越え、立止っている若い婦人客のところへ馳けつけた。

          五

 するとこの時妙なことが起った。その妙齢な美人は、いとも御気嫌斜めな御面体《ごめんてい》で、
「失礼しちゃうワ。そんなもの、あたしンじゃアなくってよ?」
 いい捨てて向きなおると、すたすたと出口のほうへ歩み去り、ぷい、と見えなくなってしまった。
 一方改札口では、これ又一騒動持上っていた。何思ったか例の案内人は、宇利氏の背後から押しのけるようにして柵を飛び越そうとしたが、宇利氏に引きとめられて、しばらくゴテゴテと押し合い揉み合い、やがて馳けつけたほかの駅員達に取押えられて、どうやら観念したらしく、事務室のほうへ連れて行った。宇利氏は再び向きなおって、さっさと仕事をつづける。静かなものだ。

 その晩、非番になった宇利氏は、赤帽溜へやって来て、ボンヤリしている伝さんへ、笑いながら切りだした。
「おい、伝さん。しっかりして呉れよ。……いったいお前さんは、少し講談や小説本に夢中になり過ぎるからいけないんだ。ふン、三の字旅行会だなんて、飛んでもないヨタ咄《ばなし》にひッかかってさ。あんなものは皆んな出鱈目《でたらめ》だよ。僕だって、もう暫く前から、あの案内人や、お客のことには気づいていたんだ。しかし僕は、お蔭でお前さんみたいな飛んでもない勘違いはしなかったよ。第一、君は、その三の字旅行の婦人客達は、一定の地方からやって来ると聞かされたろう。しかし、僕がいままで毎日、その婦人客達から受取った切符の発行駅は、大阪だったり、静岡だったり、神戸だったり、名古屋だったり、いや全くバラバラで、一定の地方からなんてやって来たものでは、決してないんだ。これでもまだお前さんは、その変テコな旅行会を信じたいかね。いやまア、あったことにしてもいい。が、兎に角、会長も会計も、それからいままで案内された、何百人というお客さんも、実は全くのヨタ咄で、ありはしないんだ。精々、今日捕まった案内人が会長で、それから某駅に、支部長が一人いるだけなんだ。この支部長の出張する某駅というのを、実は僕は、もう暫く前から調べていたんだ。それが、この頃になって、大阪駅であることが判った。――手っとり早く、ことのあらましを申上げようかね。今日捕まったあの男は、神田の、或る万年筆屋の番頭で、三角太郎《みすみたろう》っていうどえらい先生なんだ。それで、この万年筆屋は、大阪に工場を持っているんだ。昨年あたりまではこの万年筆屋は、大阪の工場から何万本という万年筆を時々まとめて送らしていたんだ。ところがこの方の仕事も自分の手でやっている三角太郎氏は、今朝あたりもう大阪で捕まっている筈の、同類の『支部長』と一計を案じ出して、運賃詐欺をしはじめたのだ。つまり、時々大量に送る荷物を、毎日少しずつに分けて、カバンでもトランクでも、或はボール箱でも風呂敷包みでもなんでもいい。兎に角手頃な手荷物の恰好にこしらえて、それに例の赤インキで三の字のはいった荷札をつけ、まず大阪の『支部長』がそれを持って大阪駅で入場券を買い、お客を送るようなふりをして、東京へ三時につく列車の、三等車の三輛目の網棚へ乗っけて、そのまま知らん顔をして引揚げる。列車はお客さんの手荷物と思い込んで、黙って東京駅まで運んで呉れる。さて、午後の三時には、三角太郎氏が、東京駅で入場券を買って、いかにもお客を迎えに行くようなふりをしてホームへはいり、三時についた急行の、三等車の三輛目の網棚から、『支部長』が置いたままになっている、その三の字のどぎつい目印のついた荷物を持って、誰れでもいいからお客の後ろにくッついて、さもそのお客を迎えに来たお供であるようなふりをしながら駅を出て行く、とまア、そういう寸法なんだ。それが、女の後ばかりついて降りて行ったというのは、これは自然の情でね。どうせ誰のあとへついて行ってもいいのなら、ジジむさい男のあとなぞついて行くよりは、若い女の後ろのほうが、よっぽど気持がいいんだからね。兎に角そのやり方でやれば、まず一回一日分何円とかかる筈の運賃が、大阪と東京の二枚の入場券、つまりたったの二十銭で事が足りるんだから、随分便利な方法さ。それも二度や三度ではなく、もうこの一年近くも毎日続けていたらしいんだから、この節約された金高というものは、莫大なものだよ。もう判ったろうね。三の字なんて、荷物を送った列車と、車輛と、その荷物との目印に使ったものに過ぎないんだよ。それを、変に勘違いしたお前さんに、たずねられたので、即座にあんなヨタ咄を作りあげて、物好きなお前さんを煙に巻いたというわけ
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