と東屋氏が、不意に私を制した。
 辺りが恐ろしいほど静かになった。と、その静寂《しじま》を破って、遠く、低い、木の枝を踏みつけるような、或は枝の葉擦れのような、慌だしい跫《あし》音が私の耳を掠《かす》め去った。誰かが大急ぎで、密林の中を山の方へ駈け込んで行くのだ。
「誰れだろう?」
 私は東屋氏を振り返った。が、彼はもう跫音などには頓着なく、五|米突《メートル》ほど隔てた岸に立って、黒い粘土の上を指差しながら私へ声を掛けた。
「一寸見に来たまえ」
 そこで私は東屋氏の側へ歩み寄って、指差された地上へ眼を落した。水際の粘土質から草地の方へ掛けて、引っこすったような無数の妙な跡がある。確かに足跡を擦り消した跡だ。
「昨晩、キャプテン深谷氏を殺した男達の足跡だよ。それを、いま密林へ逃げ込んで行った男が消したわけさ」
「追っ駈けて捕えよう」
 私は思わずいきまいた。
「もう駄目だよ。こんな勝手の知れない山の中では、僕等の負けにきまってる」
「ふん……じゃあ怪しい奴は、まだうろうろしてたんだな」
 私は口惜しそうに云った。
「そんなことはきまってるさ」
 と東屋氏は、それから意外なことを云
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