いいえ、キャプテンお独りだけでございました」
「何時《いつ》頃出られたんです」
 東屋氏は益々執拗だ。
「さあ、存じませんが……早川さんと私は、それぞれお先へ寝《やす》まして戴きましたので――」
「ではどうして、キャプテン独りで出られたのが判ったのです?」
「それは……」と彼女は明かに困った風で、「でも、ヨットは今朝、キャプテン独りだけで漂っていましたので」
 東屋氏は一息つくと、改めて云った。
「キャプテンは、随分変った方でしたね?」
「ええ。風変りでいらっしゃいました。……そして、なんでも『これは儂《わし》の趣味じゃ』と被仰《おっしゃ》るのが口癖でございました」
 やがて私達は、崖道を登り詰めた。
「物置のある別館《はなれ》と云うと、あれなんですね?」東屋氏は岬の最尖端の船室《ケビン》造りの建物に向って、歩きながら言葉を続けた。
「もう少し、私と話をして下さい」
「はい」
 彼女は仕方なさそうについて来た。
「あの黒塚さんと云う方は、どう云う人ですか?」
「ああ黒塚様ですか」と彼女は幾分元気づいた様子で、「なんでもあの方は、以前キャプテンの乗っていらした汽船で事務長をなさっていらっしゃるとかで、休航毎にああしてお遊びに来られます」
「御年配は?」
「さあ、四十位? と思いますが……まだお独身《ひとり》で、快活なお方ですから、キャプテンよりもむしろ奥様や洋吉様とお親しい様子で……」
「ああその洋吉さんと云う方は、奥さんの御舎弟ですってね」
「ええそうです。チョコレートのお好きな、随分モダーンな方で、この春大学を御卒業なさってから、ずっとこちらにいらっしゃいますわ」
「チョコレートが好き?」
 私は瞬間、先程の下男の言葉を思い出して、思わず口を入れた。「それで、昨夜何時頃に寝《やす》まれましたか? 洋吉さんは」
「昨夜ですか? 存じません。なんでも黒塚様と御一緒に、久し振りだからって随分遅くまで御散歩のようでしたので――」
 恰度この時、下男の早川が私達に追いついて来た。そしてもう別館《はなれ》の物置の入口まで来ていた私達へ、
「秤は此処にございます。一寸お待ち下さい」
 そう云ってポケットから鍵を取り出した。
 東屋氏は女中へ云った。
「いや、もう結構です。有難う」
 そこで彼女は、ほっとしたように急いで、主館《おもや》の方へ引返《ひっかえ》して行った。そして間も
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