に受けて影になって浮上るではないか。どうしてお前はそれが峯吉だったと見ることが出来たのだ?」
「……」
 お品は訳の分らぬ顔をして、俯向いてしまった。が、その顔には隠し切れぬ不安が漲《みなぎ》っていた。技師は係長へ向き直った。
「もう、私の考えていることが、いや、こうよりほかに考えざるを得ないことが、大体お判りになったでしょう……つまり、峯吉は、あの発火の時に、てん[#「てん」に傍点]から坑内には入っていなかったのですよ」
「待ち給え」係長が遮切った。「すると君は、この女が闇の中で抱きついた男と云うのは、峯吉ではなかったと云うんだな?」
「そうです。峯吉は外にも中にもいなかったのですから、いやでもそう云うことになるではありませんか」
「じゃア、いったいその男は誰なんだ」
「女のあとから飛び出して、しかも坑内には残されなかったのですから、その時女のうしろ[#「うしろ」に傍点]にいて、防火扉のまえ[#「まえ」に傍点]にいた男です」
 係長は、意外な結論に驚いて黙ってしまった。が、直ぐに勢いを盛り返して、
「どうも君の云うことに従うと、事件全体がわけの判らぬ変チクリンなものになってしまうぜ。例えば、峯吉は発火の時にその場にいなかったとすると、いったい何処へ行っていたんだ」
「さア、それですよ」と技師はひと息して、「ここでもう一つの他の事実を、そこまで進んだ新らしい目で見ます。……つまり、水呑場にあった安全燈《ランプ》ですが、あなたは、その安全燈《ランプ》を、密閉後抜け出した峯吉が、人殺しの邪魔になるから置いて行ったと解釈されたでしょう。しかしいま私は、その安全燈《ランプ》を、発火当時坑内にいなかった峯吉の所在を示すものと解釈します。峯吉は、水呑場へ行っていたんです」
「成る程。じゃアなんだな。峯吉は全々発火に関係していなかった。つまり決して塗込めに関係していなかったんだな。それでは、何故その塗込められもしない峯吉が、塗込めに関係した恨みもない人々を次々に殺害したのだ」
「どうもあなたは、まだ誤った先入主にとらわれていますね」
 菊池技師は苦笑すると、両手を握り合して苛立たしそうに歩き廻りながら云った。
「私がいままで考え進めて来た範囲では、まだ犯人が誰であるかと云う点には、少しも触れていなかった筈ですよ。ところで、ここでもう一つほかの事実を調べて見ましょう。それはこの殺人に就いてなんですが、三つの殺人には、考えて見るとそれぞれバラバラに殺害されているようで、その実面白い幾つかの連絡がみられます。まず兇器ですが、三人が三人とも炭塊で叩き殺されております。炭塊で殺されていると云うことは、なんでもないことのようですが事実は決してそうでない。係長。あなたは統計に現われた坑夫仲間の殺傷事件について、兇器は何が一番多いかご存じでしょう。鉄槌《かなづち》に鶴嘴ですよ。全くこれくらい坑夫にとって、手近で屈強な武器はありませんからね。しかも坑夫たちは安全燈《ランプ》と同じように、大事な仕事道具として必らず一つずつは持っております。ところがこの事件で犯人は、珍らしくもそれぞれの被害者へ対して凡て炭塊を使っております。この事実を、事件全体のなんとなく陰険な遣口《やりくち》なぞと考え合せて、炭塊以外に手頃な兇器の手に入らない人、つまり坑夫でない人の咄嗟《とっさ》にしでかして行った犯行でないか、とまあ考えたわけなんです。ところであなたは、この事件の被害者達が、何故同じように殺されて行ったかという共通した理由を、塗込められた男の恨みによるものと、解釈されたでしょう。ところが、事実は塗込められた男なぞないんですから、その考えは、自《おのず》から間違ったものになって来ます。むろん三人は、峯吉が塗込められたと勘違いしている、遺族からは、共通な恨みを買っているでしょう。ところが遺族の中には犯人はいないのでしょうからこれも又問題になりません。それではほかに被害者達の殺害される共通の理由はなかったかと云うと、いやそれがあるんです……私は、暫く前からそのことには気づいていましたが、被害者達は、皆一様に少しも早く発火坑を開放するための鎮火や瓦斯《ガス》の排出工合を検査している時に、殺されております。これを別様に考えると、仕事の邪魔をされたわけであり、あなたが発火坑を開放して少しも早く発火真相の調査にかかりたいという、そのあなたの意志の動きを阻害されたわけなんです。もっとハッキリ云えば、犯人は、ある時期まで、あなたに発火坑の内部を見られたくなかったのです。それで少しでも発火坑の開放を遅くらそうとしたのです」
「待ち給え」
 再び係長が遮切った。
「いったいその犯人は、なにをそんなにわしに見られたくなかったのだ。さっき君と二人で、あの発火坑を調べた時には、この殺人事件と関係のあるようなものは、なかったではないか」
「ありましたとも。係長。しっかりして下さいよ。我々はあの発火坑で重大な発見をしたではありませんか。密閉された筈の峯吉がいないという大発見を、いやそんなことではない。もっと大きな発見、あの天盤の亀裂と塩水です!」
 この言葉を聞くと、辺りに立っていた坑夫達の間には、異様な騒ぎが起りはじめた。海水の浸入! この事実に較ぶればいままでの殺人事件なぞ、坑夫達にとってはなんでもない。技師は、燃上る瞳に火のように気魄をこめて、人々を押えつけながら係長へ云った。
「片盤を開けて下さい。そしてもう、炭車《トロ》を皆出してやって下さい」
 やがて幾人かの小頭の、あわておののく手によって、重い鉄扉が左右に引き開かれると、片盤坑の中からワアーンと坑夫達のざわめきが聞えて来た。汗にまみれた運搬夫《あとむき》の女達が、小麦色の裸身をギラギラ光らして炭車《トロ》を押出して来ると、技師は進み出て呶鳴りつけた。
「皆んなここで石炭をブチ撒けて引きあげろ。炭《タン》をあけて行くんだ」
 女達は瞬間技師の奇妙な命令に顔を見合せて立止ったが、すぐその側から係長が黙って頷いているのを見ると、わけもなく技師の命令に従って行った。
 滝口坑の炭車《トロ》は、凡て枠のホゾをはずすと箱のガタンと反転する式のダンプ・カーであった。運搬夫《あとむき》たちは技師の命に従って、次々に出て来ると、その場で箱を反転さして積み込んだ石炭をザラザラとあけていった。みるみるそこには石炭の山が出来あがった。が、十二、三台目の炭車《トロ》が箱を反転さした時に、ここでとてつもないことが持上った。
 大きな箱の中からザラザラと流れ出た石炭の中から、炭塵に黒々とまみれた素ッ裸の男が、転ろげ出て、跳ね起きて、面喰らってキョトキョトとあたりを見廻わした。係長が叫んだ。
「やや、浅川監督!」
 全くそれは、炭塊に潰されて死んだ筈の浅川監督であった。咄嗟に身構えて飛びかかろうとする奴へ、すぐに技師は、係長からひったくったドスで思い切りひたっと峯打ちを喰らわした。
 監督がぶっ倒れると菊池技師は、魂消《たまげ》た係長とお品を連れて、立ち騒ぐ坑夫たちを尻目にかけ、炭車《トロ》に乗って開放された片盤坑へはいって行った。間もなく発火坑の前まで着くと、技師は、そこに置かれたままの「浅川監督の屍体」を顎でしゃくりながらお品へ云った。
「この死人をよく見てくれ。都合で監督の猿股などはかされているが、お前には、見覚えのある体だろう」
 始め女は、死人におびえて立竦んでいたが、やがて段々死人のほうへ前かがみになると、誰の顔とも判らぬまでに烈しく引歪められたその顔に、灼きつくような視線を注ぎながら、進み寄り、屈みこんで、不意に妙な声をあげて死人の体を抱えあげながら、振返って嗄《しゃが》れ声で云った。
「うちの、峯吉です」

          六

 その頃、滝口坑では全盤に亘って、技師の洩らした言葉が激しい衝撃を与えていた。始め一番坑から続々出坑して、あと半数ほどに残されていた坑夫達の間には、ひとたび海水浸入の事実が知れ渡ると、もうそこには統制もなにもなかった。人びとは炭車《トロ》を投げ出し、鶴嘴を打捨てて、捲立《まきたて》へ、竪坑へ、潮のように押寄せて行った。広場の事務所では、何処からかかるのか電話のベルがひッきりなしに鳴り続け、滝口立山の両坑を取締る地上事務所から到着した救援隊は、逃げ出ようとする坑夫達と、広場の前で揉合っていた。
 どん尻の炭車《トロ》に飛び乗って、竪坑口へ急《いそぎ》ながらも、しかし係長は捨て兼ねたような口調で、技師へ訊ねるのであった。
「つまり丸山技師と工手と、それから峯吉を殺した男は、浅川監督だったんだね?」
 技師が黙って頷くと、
「じゃア一番あとから殺された峯吉は、それまで何をしていたんだ」
「峯吉は一番さきにやられたんです」
「一番さき?」
「そうです。恐らくあの水呑場で屠られたんでしょう。そして峯吉の屍体を、ひとまず側《そば》の穴倉へでも投げ込んだ監督は、それから、あの採炭場《キリハ》へ火をつけたんです」
「なんだって、火をつけた?」
 係長は思わず訊き返した。
「そうですよ。あなたは、あれがただの過失だなんて思ったら大間違いです。レールの上へ峯吉の鶴嘴を転がして置いて、闇の中で女を抱きとめ、夫婦の習慣と女の安全燈《ランプ》を利用して、炭塵に点火したんです。あれは実際陰険きわまるやり口ですよ。ああして置けば、あとで監督局の調査があった時にも、発火の責任は、自分のところへは来ませんからね」
「しかし、何故また、あの採炭場《キリハ》に火をつけたりしたんだ」
「それですよ」と技師は次第に声を高めながら云った。
「さっきも云いましたように、それはあの採炭場《キリハ》の中に、或る時期までは絶対に人に見せてならないものがあったからなんです。だから、ああして発火坑にして人を入れないことにし、そしてまた、あとからその扉を開けようとして熱|瓦斯《ガス》の検査にかかった丸山技師と、工手を同じ目的のために片附けてしまったんです。するとあなたは、ここで、じゃア何故我々だけは無事にあの扉を開けることが出来たのか、って訊かれるでしょう。それは、もうその時、或る時期が過ぎたからなんです。しかも、あの時私みたいな男がやって来て、それまで皆んなの考えが、折角監督の思う壺にはまって来ているのに、もしもこの殺人が坑殺者への復讐であるなら、監督も今度は殺されなければならないなぞと云い出したものですから、切羽詰って穴倉の峯吉の屍体をずり出し、いかにも自分がやられたように見せかけて、炭車《トロ》に人知れず潜り込んで厳重な警戒線を突破り、もう用もなくなったこの滝口坑から逃げ出そうとしたんです」
「待ってくれたまえ」係長が遮切った。
「君はさっき、その監督が人に見られまいとしたものは、あの天盤の亀裂と海水の浸入だと云ったね。しかしこれは、やっぱりこの殺人事件とは全然別の事変だし、おまけにあの採炭場《キリハ》に火がつけられた時には、まだ天盤に異動はなかったんではないか?」
「冗談じゃあない。海水の浸入とこの殺人事件とは、密接な関係がありますよ。そして係長。あの天盤の異動は、むろん発火によって一層促進されはしたでしょうが、実はもう発火前から動いていたんですよ。多分地殻が予想外に弱かったんだ。それに、この事は係長。もうあの時注意したではないですか。よく思い出して下さい。ほら、あの亀裂は、内側まで焼け爛れていたではありませんか。つまり焼けてから裂けたんではなくて、裂けてから焼けたんです。そうだ。監督は誰よりも先に、あの亀裂と、滴り落る塩水を、みつけていたんですよ」
「成る程。しかし何故監督はこんな危険をそんなに早くから知っていながら、何故我々にまで隠そうとしたんだ。そして又、君の云う、その或る時期までとは何のことだ」
「それが、この事件の動機なんです。監督は、海水浸入の事実を最初に発見すると、そいつを某方面へ報告したんです。そしてこの恐ろしい事実の外に洩れるのを、或る時期まで喰い止めることによって、かなりの報酬にありつけることになってたんでしょう。或る時期とは、ほら、あな
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング