運搬夫《あとむき》たちへ因果を含めながら、片盤坑を奥へと進んで行った係長と菊池技師は、しかしとうとう密閉された峯吉の採炭場《キリハ》の入口の近くで、全く予期しない出来事にぶつかってしまった。
 囮《おとり》になった浅川監督は、人一倍優れた膂力《りょりょく》を持っていたし、その上武器も持っていれば、張り切った警戒力も備えていた筈であった。おまけに相手は武器も持たずに隠れているのだ。それで危険はない筈であったのであるが、しかしそれにもかかわらず、係長と技師が目的場所に着いた時には、もう監督は路面の上で全くこと[#「こと」に傍点]切れていたのであった。
 仰向きになって大の字なりに倒れた屍体の上には、殆んど上半身を覆うようにして、前より一層大きな、飛石ほどもあろうと思われる平たい炭塊がのしかかっていた。その炭塊は他所《よそ》から運ばれたものではないと見えて、すぐ傍らの炭壁の不規則な凹凸面には、いかにも落盤のように、炭塊を叩き落したらしい新らしい切口があり、路面には大小様々の炭塊が、屍体を取り巻くようにしてバラバラと崩落ちていた。殴り倒された浅川監督の瀕死体の上へ、残忍な殺人者の手によって最後の兇器が叩き落されたのだ。
 係長は、思わず監督のドスを拾いあげて、辺りを見廻しながら、技師と力を合せて屍体の上の炭塊を取り除けた。屍体は首も胸もクシャクシャに引歪められて、二タ目と見る事も出来ないむごたらしさだった。
 ホンの一足遅くれたために、貴重な囮は、殺人者の姿をさえも見ることも出来ずに逆に奪われてしまった。予期しなかった危険とは云え、これは余りに大き過ぎる過失であった。二人は烈しい自責に襲われながらも、しかしこの出来事の指し示す心憎きまでに明白な暗示に思わずも心を惹かれて行くのであった。復讐は為し遂げられたのだ。しかも武器も持たずにこのように着々と大事を為し遂げて行く男は、いったい何者であろうか。犯人はこの片盤内にいるただの坑夫か、それとも――係長は、発火坑の鉄扉の上へ視線を投げた。鉄扉の前へ近づいた。手を当てた。が、なんとそれはもうすっかり冷め切っていた。菊池技師は排気管を調査した。が、瓦斯《ガス》ももう殆んど危険のないまでに稀《うす》められていた。二人は舌打ちしながら力を合せて、鉄扉の隙の乾いた粘土を掻き落しはじめた。
 間もなく粘土がすっかり剥ぎ取られると、技師は閂を跳ね上げて、力まかせに鉄扉を引き開いた。異様な生温い風が闇の中から流れて来た。二人は薄暗い安全燈《ランプ》の光を差出すようにしながら、開放された発火坑に最初の足跡をしるして踏み込んだ。踏み込んですぐその場から安全燈《ランプ》を地上へ差しつけるようにしながら、峯吉の骨を探しはじめた。が、みるみる二人は、なんともかとも云いようのない恐怖に叩ッ込まれて行った。
 峯吉の骨がない!
 いくら探してもない。墨をかけられた古綿のように、焼け爛れた両側の炭壁は不規則な退却をして、鳥居形に組み支えられていた坑木は、醜く焼け朽ち、地面の上に、炭壁からにじみ出たコールタールまがいの瓦斯《ガス》液が、処々異臭を発して溜っているだけで、歩けども進めども、峯吉の骨はおろか、白い骨粉ひとつさえない。二人はまるでものに憑かれたように、坑道の中をうろたえはじめた。が、やがて曲ったり脹《ふく》れ浮いたりしていたレールが、急に飴《あめ》のようにひねくれ曲って、焼け残った鶴嘴や炭車《トロ》の車輪がはねとばされ、空気がまだ不気味な火照《ほてり》を保っている発火の中心、つまりその採炭場《キリハ》の終点まで来てもそれらしい影がみつからないと、いよいよ事態の容易ならざるに気づいたもののようにそのままその場に立竦んでしまった。
 最悪の場合がとうとうやって来たのだ。先にも云ったように、採炭坑は謂わば炭層の中に横にクリあけられた井戸のようなもので、鉄扉を締められた入口のほかには蟻一匹這い出る穴さえないのであった。その坑内に密閉されて火焔に包まれてしまった筈の峯吉の屍体が、屍体はともかく、骨さえも消えてしまうなぞということは絶対にない筈である。ところが、そのない筈の奇蹟がここに湧き起った。係長は、己れのふとした疑惑が遂に恐るべき実を結んだのをハッキリ意識しながら、思わず固くなるのであった。――
 恰度、この時のことである。
 不意に、全く不意に、あたりの静かな空気を破って、すぐ頭の上のほうから、遠く、或は近く、傍らの炭壁をゆるがすようにして、
 ……ズシリ……
 ……ズシリ……
 名状し難い異様な物音が聞えて来たのだ。
 瞬間、二人は息を呑んで聞耳を立てた。が唸るとも響くともつかぬその物音は、すぐにやんで、あとは又元の静けさに返って行った。
 しかし、永い間炭坑に暮した人びとには、その物音が何であるか、すぐに判る筈であ
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