悪いですね。なぜもっと、御自身の考えていられることを、アケスケに云ってしまわないんですか。いまあなたがどんな疑惑にぶつかっているか。むろん私にもそれは判る。そしてその疑惑が、どんなに子供っぽく、馬鹿気ているか、いや全く、論理をテンから無視したバカ話で、とてもまともに口に出せるような代物でないことも判ります。しかしその癖あなたは、その疑惑を頭から笑殺してしまうだけの勇気もないんでしょう。怒らないで下さいよ、係長。……そこで、そのあなたの頭痛の種を一掃してしまう手段が、ここに一つあります。なんでもないんですよ。発火坑を開放して見るんです。そうですね。発火当時にどれだけの熱が出たかは知れませんが、人間の骨まで燃えてなくなってしまうようなことは絶対にありませんからね」
「そりゃそうだ」と係長が云った。「鎮火も早かったんだからな。しかし、瓦斯《ガス》が出ている」
「でも排気してるんでしょう? だったら、そんなにいつまでも瓦斯《ガス》のある筈はないでしょうし、それに防毒面《マスク》だってあるんです。――あ、しかし、その前に係長」
 と技師はここで、なにか新らしい着想を得たと見えて、急に眼を輝し、辺りを見廻しながら云った。
「浅川さんは、どうしました?」
「浅川君か?……」
 と係長が後ろへ向き直ると、傍らにいた事務員が口を入れた。
「札幌の本社から電話で、出て行かれましたが……」
 けれどもその浅川監督は、待つほどもなく返って来た。技師は簡単な挨拶や前置きをすますと、直ぐに調子を改めて切り出した。
「実は浅川さん。変なことを云うようですが、その坑夫の塗り込めには、少くとも三人の人が手を下していた筈ですね? そして、あなたも、その一人でしたね?」
 監督の顔色がサッと悪くなった。技師は、うわ眼を使いながら、静かにあとを続けた。
「まだ、この殺人事件は、終りをつげていませんよ。どうやら今度は、あなたの番ですね。ああ、しかし」と技師は顔をあげて、急《せ》わしく云いだした。「御心配には及びませんよ。いいですか、丸山君も古井君も、炭塊でやられていますが、あれは犯人が、武器を持っていない証拠ですよ。だが、あなたは、これから武器を持つことが出来ます。場合によっては、犯人を捕えることも出来ます。そうだ。出来るどころではない。犯人に狙われているんだから、この場合、あなただけが、犯人捕縛の最も有利な立場にあるんです。我々の前には隠れている犯人も、あなたの前にはきっと姿を見せますよ」
「成る程」係長が云った。「流石《さすが》熊狩りの先生だけあって、うまいことを云う」
 しかし菊池技師は、真面目で続けた。
「それで私は、ここでひとつお二人の前へ提案したいんですがね。つまり浅川さんに武器を持って頂いて、犯行の現場附近へ単身で出掛けて貰うんです。むろん私達は、あとから殿軍《しんがり》を承わる。武器さえ持って行けば、決して心配ないと思います。如何でしょう? こいつは、手ッ取早くていいと思うんですが」
 係長は直ぐに賛成した。
 監督は、一寸考えてから立上った。そして何処からかストライキ全盛時代に買入れたドスを一本持出して来ると、そいつの鐺《こじり》でドンと床を突きながら、
「じゃ、殿軍《しんがり》を頼みますよ」
 云い残して、ひどく悲壮な調子で出掛けて行った。
 係長と菊池技師は、少しばかり時間を置いて、監督の後に続いた。が、水平坑を通って発火坑のある片盤坑の前まで来ると、技師は立止って、係長へ云った。
「一時間この片盤坑の出入りを禁止したら、どれ位出炭が遅滞しますか?」
「なんだって、片盤を止める?」
 係長が眼を瞠《みは》った。
「そうです」
「冗談じゃアないよ。仕事を罷《や》めるなんて……」
「だって、我々と行違《ゆきちがい》に、犯人がこちらへ逃げ出して来たらどうします」技師が云った。「どうです。この片盤だけでしたら、三十|噸《トン》位のものでしょう? 係長。それ位の犠牲でしたら、ひとつ思い切って止めて下さい。危急を要する場合ですよ」
「どうも君は、算盤《そろばん》よりも狩猟のほうが好きらしいね」
 係長が仕方なく苦笑すると、技師は直ぐに片盤坑の入口の大きな防火扉を引寄せて、水平坑道でうろたえ始めた坑夫や小頭に事情を含め、係長と一緒に片盤坑へ飛び込むと、外側から防火扉を閉めて、小頭に閂《かんぬき》をかけさした。折から来合せた左片盤の炭車《トロ》の行列は、直ぐにこの異常な通行禁止にぶつかると、峯吉の塗込めがあったばかりなので、夢中になって騒ぎはじめた。が、人びとは自分達と同じように密閉された係長や技師を見ると、直ぐにこれが悪性の密閉ではなく、なにか事情があっての通行禁止であることに気がつき、やがて起きはじめた騒ぎも、追々静まって行った。
 ところが、そうして出合う
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