んに渡すときの楽しみを、昨夜から胸に描《えが》いていたクルミさんである。
その香水の、可愛い木箱と一緒に、クルミさんのポケットの中には、チューインガムとキャラメルがはいっている。快い小旅行への、楽しい用意であるはいうまでもない。
実際、クルミさんは、今日の国府津行《こうづゆき》を、もう三日も前から、夜も眠られないほど楽しみにしていた。
いよいよ今朝になると、もう御飯もろくに咽喉《のど》を通らない。
「駄目ですよ、クルちゃん。御飯だけは、ウンと食べて行かなくっては‥‥」
お母さんにたしなめられても、
「だって、いただきたくないんですもの。もし、おなかがすいたら、大船《おおふな》でサンドウィッチを買いますわ。あすこのサンドウィッチ、とてもおいしいんですもの」
「まア、あきれたおしゃま[#「おしゃま」に傍点]さんね。どこからそんなこと聞き噛《かじ》ったの?」
「あーラいやだ。だって、去年の夏、鎌倉《かまくら》の帰りに、お母さんが買って下さったじゃないの‥‥」
そんなわけで、早々にお家を飛びだすと、いそいそとして東京駅へやって来たクルミさんである。
日曜日で、列車はわりにたて混んでいたが、それでも車室の一番隅っこに、まだ誰も腰掛《こしか》けていない上等のボックスがみつかった。
一番隅っこであったことが、わけもなくクルミさんを喜ばした。
「ここなら、ガムを噛《か》んだって、サンドウィッチを食べたって、恥かしくないわ」
こころゆくまで、一時間半の小旅行が楽しめるのだ。
まず、窓際へゆっくり席をとって、硝子窓《がらすまど》を思いッきり押しあける。と、こころよい五月の微風《びふう》が、戯《ざ》れかかるように流れこんで来た。
やがて、ベルが鳴り、列車は動きだす。そして、クルミさんの楽しい小旅行がはじまったのだ。
ところが――
そうして、まだ十分もしないうちに、列車が品川の駅へとまると、クルミさんのボックスへ、一人の相客《あいきゃく》が割りこんで来た。そしてそのお客さんのお蔭で、とたんにクルミさんはすっかり悄《しょ》げかえって座席の片隅へ、小さくなってしまったのであった。
二
その客は、年のころ四十前後の、眼つきの妙に鋭い、顔も体もいやに大きな、洋服の紳士であった。
中折帽を眼深《まぶか》にかむって、鼠色《ねずみいろ》のスプリング・コートの
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング