もう既に落ついてはいたが、その頃には益々落つきを増して、落ついているというよりも、なにかしきりに考え込んでしまった様子だった。いったい何を考え込んでしまったのだろう?
 何か特別な考えの糸口でもみつけたのだろうか?
「田部井さん」私は思い切って声をかけた。
「いったいあなたは、どう云う風にお考えになりますか?」
「どう云う風に、と云いますと?」
 田部井氏は顔を上げると、眼をぱちぱちさせた。
「つまりですね」私は向うの部屋のほうを見ながら、「あなたもご覧になれば判ると思いますが、ああいう惨酷なことをして子供を奪いとって逃げ出した男の足跡が、なんしろ、まるで空中へ舞い上ったように消えてしまってるんですからね。妙な出来事ですよ」
「そうですね。確かに妙ですよ。しかし妙だと云えば、この事件は、始めっから妙なことばかりですよ」
「ほう、それはまた……」
「あなたは、あの部屋に散らばっている玩具やお菓子を、始めから、つまりこんな出来事の起らない先から、あの部屋にあったものと思っていますか?」
「さあ、やはり前からあの部屋にあって、食べたり遊んだりしていたものでしょうな」
「私は、そうは思わないんですよ。少くとも食べかけたものなら、キャラメルなりチョコレートの、銀紙や蝋紙が捨ててある筈なんですが、さっき警官の来ない先に、探してみた時にはなにもなかったですよ。それに、あそこに転っている玩具は、みんな新しい品ばかりですし、第一長椅子の前に投げ出されてやぶれていたボール紙の玩具箱が、お茶なぞのこぼれた跡もないのに濡れていたのは妙です……あれは、あの蓋の上に少しばかりの雪が積っていて、室内の温度で解けたのではないかと思います。……そうそう、こんなつまらない事は云わなくたって……」と田部井氏はここで語調を変えて、今度はジッと私の眼の中を覗き込むようにして、「……不思議の材料は、始めから揃っておりますよ……とにかく、クリスマスの晩にですね……雪の上を、スキーに乗って……窓から出入して……それから、天国へ戻って行く……」
 田部井氏は、ふっと押黙って、もう一度私の眼の中を促すように見詰めながら、
「……いったい、何者だと思います?……」
「ああ」私は思わず呻いてしまった。「じゃアあなたは……あの、サンタ・クロースの事を、云っていられるんですか?」
「そうです。つまり、あの部屋へ……手ッ取早くいうと……サンタ・クロースが出現したわけです」
 私は少からず吃驚《びっくり》してしまった。
「しかし、随分惨酷なサンタ・クロースですね?」
「そうです。飛んでもないサンタ・クロースですよ……恐らく悪魔が、サンタ・クロースに化けて来たのかも知れません」とここで田部井氏は、急に真面目な調子に戻って、立上りながら云った。「……いや、しかし、どうやらその化けの皮も、剥がれかかって来ましたよ。……私には、この謎がもう半分以上、判って来ました。さア、これからひとつ、サンタ・タロースのあとを追ッ駈けましょう」
 田部井氏は、居間の入口まで行って、その中で頻《しき》りに現場の情況をノートしていた警官へ、外出を断ると、私へ眼配《めくばせ》しながら玄関口へ出て行った。私は、わけが判らぬながらも、自信のありそうな田部井氏の態度に惹かれて、ふらふらと立上った。そして、これから追跡しようとするあの奇怪なスキーの条痕《あと》や、そして又その条痕《あと》の終点で、さだめしいま頃、腕を組んで夜空を振仰いでいるに違いない肥っちょの係員の姿を思い浮べながら、田部井氏のあとに続いて行った。
 けれども戸外《そと》に出た田部井氏は、どうしたことか、裏の窓口へは廻ろうとしないで、生垣の表門へ立って、前の通りをグルグル見廻しはじめた。そこの雪の上には、出入した幾つかの足跡が入り乱れ、近所の人達が、蒼い顔をして立っていた。いったいどうしたと云うのだろう。
「田部井さん。足跡は、裏の窓口からですよ」
「あああれですか」と田部井氏は振返って、
「あれはもう、用はありませんよ。私は、もう一つの条痕《あと》を探してるんです」
「もう一つの条痕《あと》ですって?」
 思わず私は、そう訊き返した。
「そうですとも」田部井氏は笑いながら、「窓の外には一人分の跡があっただけでしょう。ね、あれでは往復したことになりませんよ。あそこからサンタ・クロースが出て行ったのなら、もう一つ入った跡がなければなりませんし、あそこから入ったのなら、出た跡があるわけですよ」とそれから、浅見家の屋根のほうを見上げてニヤッと笑いながら、「いくらサンタ・クロースだって、まさかあの細い煙突から、はいったなんてことはないでしょう……こいつは、ただのお伽噺《とぎばなし》ではないんですからね」
 成る程、何処かから入って来た跡がなければならない筈だ。私は自分
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