手首は丈夫な麻縄で堅く縛られ、すっこき[#「すっこき」に傍点]の結び玉から何にかへくくり付けた様に飛び出している綱の続きは、一|呎《フィート》程の処で荒々しく千切《ちぎ》れている事だ。黒い機械油は、手首から麻縄の上までべっとり染み付いている。
 一通りの検屍を終った喬介は、傍《そば》の婦人に向って静《しずか》に口を切った。
『いやどうも失礼いたしました。早速《さっそく》で恐縮の至りなんですが、御主人が行方不明になられた晩の模様をお聞かせ下さいませんか?』
『と言いますと?』
『つまりですな。御主人が最後に家《うち》を出られた時の様子です。』
『ハイ。』婦人は涙を拭いながら話し始めた。
『あの晩工場から暗くなってから帰って来た主人は、御飯を食べると急な夜業《やぎょう》があるからと言って直《す》ぐに出て行《ゆ》きました。』
『一寸《ちょっと》待って下さい。』と喬介は側に立っていた菜葉服《なっぱふく》の一人に向って、『その晩、夜業は確かにあったんですね?』
『いいえ。夜業はなかったです。』労働者が答えた。
『なかった? ふむ。ないものをあると言うからには、何か知られ度《た》くない事情があった
前へ 次へ
全27ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング