めり込んだ鉄屑なんだ。僕はこの推理の延長から、殺人の現場《げんじょう》を直感する。それは旋盤工場である。旋盤工場はあの鉄工場の一部にある筈《はず》だ。其処《そこ》の裏手の屑捨場《くずすてば》まで歩けば、もうそれで充分だ。』
私は黙って喬介の後へ続いた。途中で行逢《ゆきあ》った職工の一人に屑捨場の所在を訊ねた私達は、それから間もなく鉄工場の隅の裏手へやって来た。其処には、油で黒くなった古い鉄粉や、まだ銀色に光る新しい鉄粉が、山と積って捨てられてある。
喬介は直ちに手袋をはめると、比較的|新《あた》らしい鉄屑の傍《そば》へ腰を屈《かが》めて、ごそごそとさばき始めた。暫く一面に掻《か》き廻していたが、何《な》んの変化も見られない。追々《おいおい》私は倦怠《けんたい》を覚え始めた。
と、喬介の顔色が急に赧《あか》らみかけて来た。成る程、喬介の手元を見ると、新《あらた》に掘り出されたまだ余り古くない白銀色の鉄粉の層の上に、褐色の錆を浮かした大きな染《しみ》が出て来た。被害者の心臓から流れ出た血の痕《あと》だ。私がその血痕を夢中で見詰めている間に、喬介は何かチラッと光る物を拾い挙げて私の側へ寄り添った。
『君こんなものがあったよ。』
喬介が笑いながら私の前へ差し出したのは、飛びッ切《きり》上等の飾《かざり》が付いた鋭利な一丁のジャックナイフだ。鉄屑の油や細かい粉で散々に穢《よご》れているが、刃先の方には血痕らしい赤錆が浮いている。
『残念だがこう穢れていては迚《とて》も指紋の検出は出来ん。』
喬介は、手袋の指先で、柄元の塵を払い退けた。と、鮮《あざや》かにG・Yと刻んだ二文字の英字が見えて来た。途端に、私の頭の中で電光の様な推理が閃《ひらめ》いた。G・Y――とは、「山田源之助」をローマ字綴りにした場合の頭文字《イニシャル》の配列である。そこで私は、すかさず言葉を掛けた。
『君、こりゃあ山田源之助の頭文字《イニシャル》だ。犯人は源之助なんだね。』
『うむ。まあそう考えて行《ゆ》くのも悪くはないさ』と、落着き払って喬介は言う、『だが、他《た》の多くの条件の符合を無視して、只《ただ》これだけで犯人を山田と断定する事は、どう考えても危険性の多い話だ。僕は先ず、被害者は一体何をしにこんな処までやって来たのだろうか? その方を先に考えたい。そして君は、あの先程被害者の細君が話した「若僧震え上《あが》って了《しま》った」とか「今夜は久し振りに飲める」とか言う二人の間の密やかな会話を覚えているだろう? あの会話は、あの晩二人の間に「若僧」と呼ばれた一人の第三者が関係していた事を意味する。勿論、その第三者と言う男は、二人よりも年若《としわか》であったろうし、そして又――』
喬介は茲《ここ》で語《ことば》を切ると、腰を屈めて何か鉄屑の間から拾いあげた。よく見ると鉄屑の油で穢れてはいるが、まだ新しい中味の豊富な広告マッチだ。レッテルの図案の中に「小料理・関東煮」としてある。喬介は微笑しながら再び語を続けた。
『そして又その男と言うのはだね。恐らく此の頃|何処《どこ》か、多分西の方へでも旅行した事のある男だ。どうしてって、ほら君の見る通りこのナイフの側に落ちていた広告マッチのレッテルには「小料理・関東煮」としてある。関東煮とは、吾々《われわれ》東京人の所謂《いわゆる》おでん[#「おでん」に傍点]の事だよ。地方へ行《ゆ》くとおでん[#「おでん」に傍点]の事を好《よ》く関東煮と呼ぶ。殊に関西では、僕自身|度々《たびたび》聞いた名称だよ。従って、このマッチは、レッテルの文案に「関東煮」としてあるだけで、充分に東京の料理店のマッチでない事は判《わか》る筈《はず》だ。――』
『いや、もういい。よく判ったよ。』
私は喬介の推理に、多少の嫉《ねた》ましさを感じて口を入れた。喬介は、先程のジャックナイフをハンカチに包んで広告マッチと一緒にポケットへ仕舞い込みながら、私の肩に手を置いた。
『じゃあ君。これから一つ機械油の――あの被害者の背中に引ッこすッた様に着いていたどろりとした黒い油のこぼれている処《ところ》を探そう。』
そこで私は、喬介に従って大きな鉄工場の建物の中へ這入《はい》った。
回転する鉄棒、ベルト、歯車、野獣の様な叫喚《きょうかん》を挙《あ》げる旋盤機や巨大なマグネットの間を、一人の労働者に案内されながら私達は油のこぼれた場所を探し廻った。が、喬介の推理を受入れて呉《く》れる様な場所は見当らない。で、がっかりした私達は、工場を出て、今度は、二つの乾船渠《ドライ・ドック》の間の起重機《クレーン》の林の中へやって来た。其処《そこ》で、大きな鳥打帽《ハンチング》を冠《かぶ》った背広服に仕事着の技師らしい男に行逢《ゆきあ》うと、喬介は早速《さっそく》その男
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