きます。ヘイ」
と、そこで助役はすまし込んで花環を受取ると、代金を払って、そのままぷいと表へ出てしまいました。吉岡も早速助役の後に続いたんですが、門口《かどぐち》を出しなにチラッと奥を見ると、あの感じの陰気なその癖妙に可愛らしい娘は、まだ相変らず顔だけ出して、表の方を覗いていました。
外へ出ると、助役達はもう十間程先を歩いています。で、吉岡は急いで追いつくと、その肩へ手を掛けながら、気色ばんで言いました。
「助役さん。あの親爺、とうとう毎土曜日の午後にB町へ行く事を白状したんですから、何故|序《ついで》に捕えちまわんです」
すると、
「吾々は検事じゃないんだからな」と助役が言いました。「――無暗《むやみ》に急《あせ》るなよ。それに第一捕えるにしても、吾々は、どれだけ確固とした証拠を持っていると言うんだ。――成る程あの親爺は、確かに先夜君に追われた犯人に、九分九厘違いない。がしかし、いま捕えるよりも、もう二、三日待って今度の土曜日の真夜中に、例の場所で有無を言わさず現行犯を捕えた方がハッキリしてるじゃないか。あの親爺はまだまだ豚を盗むよ。何か深い理《わけ》があるんだ。さあ、土曜日までもう一度静かな気持になって、その『最後の謎』を考えられるだけ考えてみよう」
で彼等は、素直に機関庫へ引挙げる事にしました。
そして片山助役は、翌日から彼の言明通り、あの陰気な十方舎の親娘《おやこ》の身辺に関して、近隣の住人やその他に依る熱心な聞き込み調査を始めたんです。
一日、二日とする内に――彼等は全く二人きりの寂しい親娘《おやこ》であって、生計《くらし》は豊かでなく近所の交際《つきあい》もよくない事。娘はトヨと言う名の我儘な駄々ッ児で、妙な事にはここ二、三年来少しも家より外へ出ず、年から年中日がな一《いち》ン日《ち》ああしてあの奥の間へ通ずる障子の隙間から、まるで何者かを期待するかの様に表の往還を眺め暮している事。そうした事から、どうやら彼女は、何か気味の悪い片輪者ではあるまいかとの事。そしてその父親と言うのが、これが又無類の子煩悩で何かにつけてもトヨやトヨやと可愛がり、歳柄《としがら》もなく娘が愚図り始めた時などは、さあもう傍《はた》で見る眼も気の毒な位にオドオドして、なだめたりすかしたりはては自分までポロポロと涙を流して「おおよしよし」とばかり娘の言いなり放題にしているとの事。尚又その娘のむしろヒステリカルな我儘は、最近|三月《みつき》、半年と段々日を経《へ》るにつれて激しくなって来たが、妙な事にはこのひと月程以前からどうした事かハタと止んで、その代りヘンに甘酢ッぱい子供の様に躁《はしゃ》いだ声で、時々古臭い「カチューシャ」や「沈鐘」の流行唄《はやりうた》を唄ったり、大声で嬉しそうに父親に話し掛けたりしていたとの事。ところが、それが又どうした事かこの四、五日前から、再び以前の様にヒステリカルな雰囲気に戻ったとの事――等々が、追々に明るみへ出されて来たんです。
――いやどうも、片山助役のこの徹底した調査振りには、少からず私も驚きましたよ。と言うのは、私も当時よくその家へ買物に出掛けた事があるんですが、全くその度毎にその娘は、障子の隙間から、顔だけ出して何とも言いようのないエロチックな笑いを浮べながら、あの薄い素絹を敷いた様な円《つぶ》らな両の瞳を見開いて、柔かな、でもむさぼる[#「むさぼる」に傍点]様な視線を私のこの顔中へ――それはもう本当に「ああいやらしいな[#「いやらしいな」に傍点]」と思われる位に、しつこく注ぎ掛けるのです。そして又その親爺と言うのが、全く助役の調査通りでして、例えば仕事をしながらも、溢れる様な慈愛に満ちた眼差《まなざし》でセカセカと娘の方を振返っては、「そんなに障子を明けると風邪を引くよ」とか、「さあ、お客様に汽車のお話でも聞くがいいよ」などと、それはそれはまるで触ると毀れるものの様にオドオドした可愛がり様を、一再ならず私は見せつけられたものです。……
ま、それはさておき、とにかくそんな調子でドシドシ洗い上げた片山助役は、やがて殆ど満足な結論にでも達したのか次の土曜日の夜には、正確に言うと日曜日――三月十八日の午前四時三十分には、もう涼しい顔をして、あの曲線線路《カーブ》の松林で、その娘の親爺を捕えるべく、例の二人の部下とそれからH署の巡査と四人で、黙々と闇の中へ、蹲《うずくま》っていたんです。
ところが、ここで片山助役の失敗が持上ったんです。と言うのは、四時四十二分に例の旅客列車が通過して、五分過ぎましたが、意外にも豚盗人はやって来ないんです。
十分、二十分、一行は息をひそめて待ちましたが、この前で懲りたのか大将一向にやって来ません。そしてとうとう肝心|要《かなめ》のD50・444号の貨物列車が通り過ぎてしまったんです。
「……ふむ。先生、この張込みに感付いたな。よし。もうこの上は、直接十方舎へ乗り込もう」
とうとう助役は、そう言って不機嫌そうに立上りました。
やがて一行は、B駅から直ぐ次の旅客列車に乗ってH駅へ来ました。そしてもう夜の明け切った構内を横切って、十方舎へ行くべく機関庫の方へ歩いて行ったんです。と、どうした事でしょう、「葬式《とむらい》機関車」の「オサ泉」と助手の杉本が、テクテクやって来るんです。見れば、杉本の例の鼻の下の煤が、いつの間にか綺麗に拭き取られているんじゃないですか!
杉本は、一行を認めると大袈裟な顔付で、
「とうとう又|殺《や》っちゃいましたよ」
「なに又殺った※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
と、助役が思わず叫びました。
すると杉本は、
「ええ、確かに手応《てごたえ》がありましたよ。この駅のホンの一丁程向うの陸橋《ブリッジ》の下です。しかもねえ、機関車《おかま》の車輪《わっぱ》にゃあ、今度ア女の髪の毛が引ッ掛ってましたよ。豚じゃねえんです――」
で早速彼等は、十方舎の親爺の逮捕をとりあえず警官に任せて、大急ぎで逆戻りをしました。そして間もなく、H駅の西へ少し出外《ではず》れた轢死の現場へやって来たんです。
恰度朝の事で、冷え冷えとした陸橋《ブリッジ》の上にも、露に濡れた線路の上にも、もう附近の弥次馬達が、夥しい黒山を作っていました。――その黒山を押崩す様にして分け入った一行の感覚へ、真ッ先にピンと来た奴は、ナマナマ[#「ナマナマ」に傍点]しい血肉の匂いです。続いて彼等は足元に転っている凄惨な女の生首《なまくび》を見ました。――頭顱《あたま》が上半分欠けて、中の脳味噌と両方の眼玉が何処かへ飛んでしまい、眼窩《めのあな》から頭蓋腔《あたまのなか》を通して、黒血のコビリ着いた線路の砂利が見えます。――でもその眼玉のガラン洞になった半欠《はんかけ》の女の顔を見ている内に、追々に彼等は、それが、あの、葬具屋の娘――である事に気付いて来たんです。
それから彼等は、助役に引ッ張られて、顫《ふる》えながらもうひとつ奥へ進んで行きました。そしてそこで、線路の上へ転っているものを見た時に、一行は思わず嘔吐を催しました。
――それは、股の着根《つけね》から切断された両脚らしいものですが、殆ど全体に亙って太さが直径八、九寸近くもある、まるで丸太ン棒です。おまけにその皮膚の色は、血の気が失せて鉛色なんです。助役は青い顔をして屈み込むと、でも、平気でその肌へ指をグッと押付けました。するとその部分の皮膚は、ただ無数のいとも不快な皺を寄せただけで、少しも凹《へこ》まないんです。――助役は六ヶ敷い顔で立上ると、重い調子で言いました。
「……こりゃあ。切断のために出来た浮腫《はれ》じゃあないよ。君達は、あのフィラリヤって言う寄生虫のために淋巴《リンパ》管が閉塞《ふさ》がれて、淋巴の欝積《うっせき》を来した場合だとか、或は又、一寸した傷口から連鎖状球菌の浸入に依って、浮腫性《ふしゅしょう》の病後に続発的に現れる象皮病――って奴を知ってるかい?……こいつがそれだよ。僕の大学時代の友人に、これを病んだ奴が一人あったよ。患部は主に脚で、炎症のために皮膚が次第に肥厚《はれあが》って、移動性を失って来るんだ。象皮病で死んだと言う事は余り聞かないが、旧態《もと》通りに治癒《なお》るって事は、ま、大体絶望らしいな」と助役はここで一寸いずまいを正して、「……どうやらこれでこの事件も幕になったらしいね……あの豚の轢殺事件が、こんな悲劇に終ろうとは思わなかったよ……いや、僕の手抜かりだった。この娘は恐らく自殺なんだろう。と言うのは……いやとにかく、歩きながら話すとして、とりあえず十方舎へ出掛けよう……あの親爺め、可愛い娘のこんな死態《しにざま》を見たならきっと気狂いにでもなっちまうよ……」
そう言って助役は、歩きながらこの奇妙な事件の最後の謎――つまり十方舎の親爺が豚を盗んだ動機を彼のその優れた直観力で、どんな風に観破《みやぶ》ったかと言う事を、手短かに話し始めたんです。
いや、学生さん。
ところがその助役の直観力って奴は、幸か不幸か当ってたんですよ。そしてその事の正しさは、間もなく検屍官の手に依って娘の懐中から発見された、意外にも「葬式《とむらい》機関車」の「オサ泉」宛の遺書に依って、いよいよ明かにされたんです。
で、その娘の手紙なんですがね……実は、いま、こうして私が持ってるんですよ……いや、助役の話なんぞ繰返すよりも、一層《いっそ》の事この手紙をお眼に掛けましょう。それに第一私としても、いまここで、助役のそのしたり[#「したり」に傍点]顔な説明なんぞを、再び私の口からお話するのは、とてもつらいんです。と言うのは、その話ってのが、そもそも私の過去に致命的な打撃を与えた、苦しい思い出だからなんです……さあ、この穢《きたな》らしい手紙なんですが……どうぞ、ご覧下さい……
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お懐しいオサセン様。
妾《わたし》は、十方舎の一人娘トヨでご座います。この手紙を貴男《あなた》がおヨミになる頃には、もう妾は少しも恥かしい事を知らない国へ行っております。だから妾は、どんな事でも申上げられると思います。どうぞ私の話を、お聞き下さい。
妾は、子供の頃からふしあわせでご座いました。妾の家にはあまりお金がありませんでしたので、妾の父や母は、妾をヨソの子供さん達の様にしあわせにはしてくれませんでした。だから妾は恰度いまから四年前の十九の年に、ふとした事から右足に小さなキズをした時にも充分に医者にかかる事も出来ませんでした。するとそのキズからバイキンが入って、妾はタンドクと言う病気にかかりました。でもおどろいて医者にかかりましたのでその病気はまもなく治りましたが、又半年程すると、今度はサイハツタンドクと言う、先の病気とよく似た病気にかかりました。今度はなかなか治りませんでした。そして妾は、ゾウヒビョウと言う恐ろしい病気に続けてかかってしまい、妾の両脚はとてもとても人様に見せられない様な、それはそれはみにくいものになってしまいました。医者は死ぬ様な事はないが、元の通りには治らないと言いました。そして毎年春や秋が近づくと、妾の両脚は、一層ひどくはれるのでご座います。
お懐しいオサセン様。
なんと言う妾はふしあわせな女でしょう。妾は父や母をノロいたくなりました。でもその頃から、父や母の妾に対するたいどは、ガラリと変りました。
父はもう夢中で、妾を何より大事にしてくれる様になりました。母は、毎日毎日妾に対してすまないすまないと、気狂いの様に言っておりました。ああそして、本当に母は気狂いになってしまいました。
それは恰度三年前の、冷い雨の降る秋の夜の事でした。気の狂った母は裸足のままで家を飛び出して、とうとう陸橋の下で汽車にひかれて死んでしまったのです。
でもお懐しいオサセン様。
その時の汽車の運テン手が、貴男《あなた》だったのでご座います。そして、なんと言う貴男は親切なおかたでしょう。妾の母のタマシイのために、貴男は花環をたむけて下さいました。そしてそれから後も、時々人を
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