とむらい機関車
大阪圭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)貴下《あなた》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一番|轢殺《れきさつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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――いや、全く左様ですよ。こう時候がよくなりますと、こうして汽車の旅をするのも、大変楽ですな……時に、貴下《あなた》はどちらまで?……ああ東京ですか。やはり大学も東京の方で……ああ左様ですか。いや結構な事ですな……え、私? ああ私は、ついこの先方《さき》のH市まで参ります。ええそうです。あの機関庫のあるところですよ。
――これでも私は、二年前までは従業員でしてな。あのH駅の機関庫に、永い間勤めていたんです……いやその、一寸訳がありましてな、退職したんですが、でも毎年、今日――つまり三月の十八日には、きまってこうしてH市まで、或る一人の可哀想な女のために、大変因果な用事で出掛けるんですよ……え? 私が何故鉄道を退職《やめ》たのかですって?……いや、不思議なもんですなあ。恰度《ちょうど》一年前の三月十八日にも、私はH市へ行く車中で、やはり貴下の様な立派な大学生と道連れになりましてな、そして貴下と同じ様に、その事に就いて訊ねて頂きましたよ……これと言うのも、きっとホトケ様のお思召《ぼしめし》なんでしょう……いや、とにかく嬉んでお話いたしましょう。全く、学生さんは、皆んなサッパリしていられるから……。
――私が何故鉄道を退職《やめ》たか、そして何故毎年三月十八日にH市へ出掛けるか、と言いますと、実はこれには、少しばかり風変りな事情があるんですよ。でも、その事情と言うのが、見様《みよう》に依っては、大変因縁咄めいておりましてな、貴下方《あなたがた》の様に新しい学問を修められた方には、少々ムキが悪いかも知れませんが、でもまあ、車中の徒然《つれづれ》に――とでもお思いになって、聞いて頂きましょう。
――話、と言うのは数年前に遡《さかのぼ》りますが、私の勤めていたH駅のあの扇形をした機関庫に……あれは普通にラウンド・ハウスと言われていますが……其処《そこ》に、大勢の掛員達から「葬式《とむらい》機関車」と呼ばれている、黒々と燻《すす》けた、古い、大きな姿体の機関車があります。形式、番号は、D50・444号で、碾臼《ひきうす》の様に頑固で逞しい四対《よんつい》の聯結主働輪の上に、まるで妊婦《みもちおんな》のオナカみたいな太った鑵《かま》を乗《のっ》けその又上に茶釜の様な煙突や、福助頭の様な蒸汽貯蔵鑵《ドオム》を頂いた、堂々たる貨物列車用の炭水車付《テンダー》機関車なんです。
ところが、妙な事にこの機関車は、H駅の機関庫に所属している沢山の機関車の中でも、ま、偶然と言うんでしょうが、一番|轢殺《れきさつ》事故をよく起す粗忽《そこつ》屋でして、大正十二年に川崎で製作され、直《ただち》に東海道線の貨物列車用として運転に就いて以来、当時までに、どうです実に二十数件と言う轢殺事故を惹《ひき》起して、いまではもう押しも押されもせぬ最大の、何んと言いますか……記録保持者《レコード・ホルダー》? として、H機関庫に前科者の覇権を握っていると言う、なかなかやかましい代物です。
ところでここにもうひとつ妙な事には、この因果なテンダー機関車にまことに運が悪いと言いますか、宿命とでも言うのですか、十年近くもの永い歳月に亙って、機関車が事故を起す度毎《たびごと》に、運転乗務員として必ず乗込んでいた二人の気の毒な男があったんです。
一人は機関手で長田泉三《おさだせんぞう》と言いましてな、N鉄道局教習所の古い卒業生で、当時年齢三十七歳、鼻の下の贋物のチョビ髭を取ってしまえば何処となく菊五郎《おとわや》張りの、デップリした歳よりはずっと若く見える大男で、機関庫の人々の間ではもろ[#「もろ」に傍点]に「オサ泉《セン》」で通用《とお》っていました。で、後の一人は、機関助手の杉本福太郎《すぎもとふくたろう》と言うまだ三十に手の届かぬ小男でして、色が生白く体が痩せていて、いつも鼻の下にまるで「オサ泉」の髭の様に、煤《すす》をコビリ着かせている奴なんです。
二人共呑気屋で、お人好で、酒など飲んだ後などはただわけもなく女共に挑《いど》み掛っては躁《はしゃ》ぎ廻る程の男なんですが、それでもD50・444号の無気味な経歴に対しては少からず敬遠――とでも言いますか、内心よんどころない恐怖を抱いていたんです。で二人共最初の内はそんな恐怖など互いにオクビにも出さない様にしていたんですが、そうした余り気持のよくない事故が度重なるに従って、追々にやり切れなくなって来たんです。そしてとうとう、当時より三年前の或る秋の夜――恰度その夜は冷い時雨《しぐれ》がソボソボと降っておりましたがな――H駅の近くの陸橋《ブリッジ》の下で、気の狂った四十女の肉体を轢潰《ひきつぶ》してしまった時から、「オサ泉」の主張で彼等の間に、ひとつの風変りな自慰が取上げられたんです。と言うのは、つまり被害者の霊に対するささやかな供養の意味で、小さな安物《やすもん》の花環を操縦室《キャッブ》の天井へ、七七日の間ブラ下げて疾走《はし》ると言う訳なんです。二人は早速それを実行に移しました。
この一寸した催しは、間もなく同じ職場の仲間達の間に俄然いい反響を惹起しました。そして人々は、この髭男の感傷に対して、一様に真面目な好感を抱く様になって来たんです。さあそうなると可笑しなものでしてな、「オサ泉」も助手の杉本も、追々に心から自分達の思い付きが如何にも張合のある有意義な営みの様に思われて来て、その後も相変らず事故の起った度毎に、新しい花環を操縦室《キャッブ》の天井へ四十九日間ブラ下げる事を殊勝にも忘れようとはしなかったんです。そして何日《いつ》の頃からとなく人々は、D50・444号を、「葬式《とむらい》機関車」と呼ぶ様になっていたんです。
いや、学生さん。
ところがここ二年前の冬に到って、このD50・444号が、実に奇妙な事故に、しかも数回に亙って見舞われたんです。
それは二月に這入《はい》って間もない頃の、霜《しも》の烈しい或る朝の事でした。
当時一昼夜一往復でY――N間の貨物列車運転に従事していたD50・444号は、定刻の午前五時三十分に、霜よりも白い廃汽《エキゾースト》を吐き出しながら、上り列車としてH駅の貨物ホームに到着しました。
で、早速ホームでは車掌、貨物掛等の指揮に従って貨物の積降《つみおろし》が開始され、駅助役は手提燈《ランプ》で列車の点検に出掛けます――。一方、機関助手の杉本は、ゴールデン・バットに炉口《プアネス》の火を点けてそいつを横ッちょに銜《くわ》えると、油差を片手に鼻唄を唄いながら鉄梯子《タラップ》を降りて行ったんです。
が、間もなく杉本は顔色を変えて物も言わずに操縦室《キャッブ》へ馳け戻ると、圧力計《ゲージ》と睨めッくらをしていた「オサ泉」の前へ腰を降ろし、妙に落着いて帽子と手袋を脱《と》り痩せた掌《て》の甲へ息を吹掛けると、そいつで鼻の下の煤を綺麗に拭き取ったんです――これが、機関車の車輪に轢死者の肉片が引ッ掛っていた場合の、杉本の一種の合図、と言いますか、まあ、癖なんです。一寸断って置きますが、あの巨大な機関車が、夜中に人間の一匹や二匹を轢殺《ひきころ》したかって、乗務員が知らン顔をしている様な事はいくらもあるんですよ。
で、「オサ泉」は気を悪くして立上りました。そして黄色い声で駅員達を呼び寄せるのです。――間もなく助役の指図で機関車は臨時に交換され、D50・444号は二人の乗務員と共に機関庫へ入院させられました。
ここで二、三名の機関庫掛員に手伝われて、機関車の一寸した掃除が始まるんですが、およそ従業員にとってこの掃除程厄介な気持の悪いものは、そうザラにはありませんよ。例えば轢死者が腕を千切られたとか、両脚を切断されたとか、或は胴体と首が真ッ二つに別れたとか、ま、そう言う風に割に整ったまるで刃物で傷付られた時の様な、サッパリした殺され方をした場合には、機関車の車輪には時たまひからびた霜降りの牛肉みたいな奴が二切三切引ッ掛っている位のもので、後《あと》はただ処々に黒い染《しみ》がボンヤリ着いて見えるだけなんです。で、そんな場合には少し神経の春めいた男でしたなら、なんの事はないまるで肉屋の賄板《まないた》を掃除するだけの誠意さえあれば事は足りるんですが、一旦轢死者が、機関車の車台《トラック》のど真ン中へ絡まり込んで、首ッ玉を車軸の中へ吸い込まれたり、輪心《ホイル・センター》や連結桿《コンネクチング・ロッド》に手足を引掛けられて全速力で全身の物凄い分解をさせられた場合なんぞは、機関車の下ッ腹はメチャメチャに赤黒いミソ[#「ミソ」に傍点]を吹き着けられて、夥しい血の匂いを、発散するんです。そして又そんな時には、きまって被害者の衣服はそれが男の洋服であろうと女のキモノであろうと着ぐるみすっかり剥《は》ぎ千切られて、機関車の下ッ腹の何処かへ引ッ掛ってしまうんです。こんな場合の車の掃除が、所謂「ミソ[#「ミソ」に傍点]になる轢死者」でして、機関庫の人々をクサらせるんです。
ところで、いま、転車台でクルリと一廻りして扇形機関庫《ラウンド・ハウス》へ連れ込まれたD50・444号ですが、一寸調べて見ると、何処でいつの間に轢潰《ひきつぶ》して来たのか、こいつがその「ミソ[#「ミソ」に傍点]」の部類に属する奴なんです。
杉本は顔を顰《しか》めてタオルに安香水を振り蒔き、そいつをマスクにして頭の後でキリッと結ぶとゴムの水管《ホース》の先端《さき》を持って、恰度機関車の真下の軌間《きかん》にパックリ口を開いている深さ三尺余りの細長い灰坑の中へ這入って行きました――。
ところが、ここで奇妙な事が発見されたんです。と言うのは、こんな場合いつでもする様に、杉本は機関車の下ッ腹へ水を引ッ掛けながら、さて何処やらに若い娘のキモノでも絡まり込んでいないかなと注意して見たんです。が、轢死者の衣類と思われる様なものは、襦袢《じゅばん》の袖ひとつすらも発見《みつ》からなかったんです。けれどもその代りに、杉本は、妙な毛の生えた小さな肉片を、まるでジグソー・パズルでもする様な意気込んだ調子で鉄火箸《かねひばし》の先に挟《はさ》んで持出して来ました。で、早速皆んなで突廻して鑑定している内に、検車係の平田と言う男が、人間の肉片にしては毛が硬くて太過ぎる、と主張し始めたんです。で、騒ぎ始めた一同は、二、三の年寄連中を連れて来て再び調べ始めたんです。そしてその結果、どうです。意外にも黒豚の下腹部の皮膚であろう、と言う事に決定したんです!
いやところが、この意外にも奇妙な決定を裏書する報告が、それから二時間程後にH駅所属の線路工手に依って齎《もた》らされました。と言うのはですな、H駅を去る西方約六|哩《マイル》、B駅近くの曲線《カーブ》になっている上り線路上に、相当成熟し切ったものらしい大きな黒豚の無惨なバラバラ屍体が発見されたんです。B駅と言うのは、多分御承知の事とは思いますが、県立農蚕学校の所在地として知られた同じ名の一寸した町にありましてな、その町の近郊の農家では副業としての養豚が非常に盛んなんです。で、多分、何かの拍子で豚舎の柵を飛び出した黒豚が、気ままにカーブ附近の線路を散歩中不慮の災難に出合ったものに違いない――とまあ、そんな風に機関庫の人々は片附けて、やがてこの事件も割合簡単にケリがついたんです。そして人の好いあくまで親切な「オサ泉」は、粗末ながらも新調の花環を操縦室《キャッブ》の天井へブラ下げて、再び仕事に就き始めました。
すると、それから数日を経た或る朝、やはりH駅へ午前五時三十分着のD50・444号の車輪に、再び新しい黒豚のミソ[#
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