、まるで丸太ン棒です。おまけにその皮膚の色は、血の気が失せて鉛色なんです。助役は青い顔をして屈み込むと、でも、平気でその肌へ指をグッと押付けました。するとその部分の皮膚は、ただ無数のいとも不快な皺を寄せただけで、少しも凹《へこ》まないんです。――助役は六ヶ敷い顔で立上ると、重い調子で言いました。
「……こりゃあ。切断のために出来た浮腫《はれ》じゃあないよ。君達は、あのフィラリヤって言う寄生虫のために淋巴《リンパ》管が閉塞《ふさ》がれて、淋巴の欝積《うっせき》を来した場合だとか、或は又、一寸した傷口から連鎖状球菌の浸入に依って、浮腫性《ふしゅしょう》の病後に続発的に現れる象皮病――って奴を知ってるかい?……こいつがそれだよ。僕の大学時代の友人に、これを病んだ奴が一人あったよ。患部は主に脚で、炎症のために皮膚が次第に肥厚《はれあが》って、移動性を失って来るんだ。象皮病で死んだと言う事は余り聞かないが、旧態《もと》通りに治癒《なお》るって事は、ま、大体絶望らしいな」と助役はここで一寸いずまいを正して、「……どうやらこれでこの事件も幕になったらしいね……あの豚の轢殺事件が、こんな悲劇に終ろうとは思わなかったよ……いや、僕の手抜かりだった。この娘は恐らく自殺なんだろう。と言うのは……いやとにかく、歩きながら話すとして、とりあえず十方舎へ出掛けよう……あの親爺め、可愛い娘のこんな死態《しにざま》を見たならきっと気狂いにでもなっちまうよ……」
 そう言って助役は、歩きながらこの奇妙な事件の最後の謎――つまり十方舎の親爺が豚を盗んだ動機を彼のその優れた直観力で、どんな風に観破《みやぶ》ったかと言う事を、手短かに話し始めたんです。
 いや、学生さん。
 ところがその助役の直観力って奴は、幸か不幸か当ってたんですよ。そしてその事の正しさは、間もなく検屍官の手に依って娘の懐中から発見された、意外にも「葬式《とむらい》機関車」の「オサ泉」宛の遺書に依って、いよいよ明かにされたんです。
 で、その娘の手紙なんですがね……実は、いま、こうして私が持ってるんですよ……いや、助役の話なんぞ繰返すよりも、一層《いっそ》の事この手紙をお眼に掛けましょう。それに第一私としても、いまここで、助役のそのしたり[#「したり」に傍点]顔な説明なんぞを、再び私の口からお話するのは、とてもつらいんです。と言うのは、その話ってのが、そもそも私の過去に致命的な打撃を与えた、苦しい思い出だからなんです……さあ、この穢《きたな》らしい手紙なんですが……どうぞ、ご覧下さい……

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 お懐しいオサセン様。
 妾《わたし》は、十方舎の一人娘トヨでご座います。この手紙を貴男《あなた》がおヨミになる頃には、もう妾は少しも恥かしい事を知らない国へ行っております。だから妾は、どんな事でも申上げられると思います。どうぞ私の話を、お聞き下さい。
 妾は、子供の頃からふしあわせでご座いました。妾の家にはあまりお金がありませんでしたので、妾の父や母は、妾をヨソの子供さん達の様にしあわせにはしてくれませんでした。だから妾は恰度いまから四年前の十九の年に、ふとした事から右足に小さなキズをした時にも充分に医者にかかる事も出来ませんでした。するとそのキズからバイキンが入って、妾はタンドクと言う病気にかかりました。でもおどろいて医者にかかりましたのでその病気はまもなく治りましたが、又半年程すると、今度はサイハツタンドクと言う、先の病気とよく似た病気にかかりました。今度はなかなか治りませんでした。そして妾は、ゾウヒビョウと言う恐ろしい病気に続けてかかってしまい、妾の両脚はとてもとても人様に見せられない様な、それはそれはみにくいものになってしまいました。医者は死ぬ様な事はないが、元の通りには治らないと言いました。そして毎年春や秋が近づくと、妾の両脚は、一層ひどくはれるのでご座います。
 お懐しいオサセン様。
 なんと言う妾はふしあわせな女でしょう。妾は父や母をノロいたくなりました。でもその頃から、父や母の妾に対するたいどは、ガラリと変りました。
 父はもう夢中で、妾を何より大事にしてくれる様になりました。母は、毎日毎日妾に対してすまないすまないと、気狂いの様に言っておりました。ああそして、本当に母は気狂いになってしまいました。
 それは恰度三年前の、冷い雨の降る秋の夜の事でした。気の狂った母は裸足のままで家を飛び出して、とうとう陸橋の下で汽車にひかれて死んでしまったのです。
 でもお懐しいオサセン様。
 その時の汽車の運テン手が、貴男《あなた》だったのでご座います。そして、なんと言う貴男は親切なおかたでしょう。妾の母のタマシイのために、貴男は花環をたむけて下さいました。そしてそれから後も、時々人を
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