判官達を向うに廻して、そのネバリ戦術を始めたんです。いや、先生、確かに緊張してましたよ……
ところが、二時間ばかりして、ひとまず昼の休憩時間に這入ると、退廷した青山さんは傍聴人の休憩室で一服すると、直ぐにどこかへ飛び出して行ったんです。私は、昼飯でも食べに行かれたんかと思ってるとやがて写真機みたいなものを持って帰って来られたんですが……どうです、それから菱沼さんを通じて、この私へ、大変なことを頼んで来られたんですよ……なんでも、菱沼さんの云われるには、
「他でもないが、午後の公判が始ったら、判検事席の後ろの扉《ドア》を一寸開けて、この写真機で、人に知られないようにパチッと公判廷を撮《うつ》してくれ。なに訳なく出来るよ。もうちゃんと仕掛けてあるんだから。是非頼む……」
いや、どうも大変なことを頼まれたもんです。第一こちとらア、写真を撮したことなぞないんですからね……それに、だいたい公判廷なぞ写真にとって、一体どうしようってんでしょう? 全く妙ですよ。いやしかし、そう云う菱沼さんも、なんのことやらろくに判りもしないで頼んでるんですから、気の毒みたいなもんで……それに、こう見えたって私も江戸ッ子でさア、虫のいどころによっちゃアどんなことでも引受けかねない気性ですから、
「よござんす」思い切って引受けましたよ。
さアそれからいよいよ午後の公判です。ところが……全く、運がいいと云うもんですよ。裁判長が眼鏡を忘れて入廷したんです。で早速そいつを届けに判検事席へ上ったんですが、引ッ返す戸口のところで、こう向うの低いところにいる菱沼さんの方へ向けて、例のものを抜《ぬか》らずパチッとやらかし、そしてそのパチッて音をまぎらすようにバタンと扉《ドア》を締めたんですが、なんだかパチッて音のほうがひどく耳に残って、思わず冷汗をかきましたよ……しかし大丈夫でした。向うの傍聴人の中には、写真機をみつけた人があったかも知れませんが、大体うまくいきましたよ……なんしろあれが、あとにもさきにも、私の始めての写真撮りなんでして。
さて、ところで一方、公判廷なんですが……いやこれが実は、その日の公判のうちに、判決を済《すま》してしまいたいって検事さんの予定だったんだそうですが、先刻《さっき》も申上げたようになるべく判決を遅くらしてくれって青山さんの註文で、菱沼さん、ムキになってネバり続けた甲斐あっ
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