って云いましたが、これがその夜学へ通う苦学生なんです。
 で、事件と云うのは……日附を忘れましたが、なんでも七月の、まだお天道様がカンカンしてる暑い頃のことでして……日本橋の北島町で、坂本という金貸の家が空巣狙いに見舞われたんです。この坂本って家《うち》は、主人夫婦に、大学へ行くような子供が二、三人あるんですが、恰度《ちょうど》夏休みで、息子達は皆んな海水浴へ行って留守……そして恰度被害を受けたその日には、細君は女中を連れて昼から百貨店へ買物に出掛けて、後には主人の坂本が一人残った、と云うわけなんです。で、残された主人は、むろん金貸とは云っても内々の金貸で、仕舞屋《しもたや》のことですから、玄関口に錠をおろして、座敷で退屈まぎれに書見をしはじめたんです……ところが、三時の時計の音を聞いてから、ついウトウトとまどろんじまったんです。それから、二十分ほどして買物に出掛けた細君が三時二十分に女中と一緒に帰って来たわけです。主人は、それまで二十分間と云うもの、すっかり寝込んじまったんです。で帰って来た細君は、仕方がないから、錠のおろしてない勝手口から這入ったんですが、這入ってみて、台所の板の間から、すぐ次の茶の間の畳の上へかけて、土足のあとをみつけて吃驚《びっくり》し、周章《あわ》てて座敷の主人を起すと同時に茶の間の茶箪笥を調べたんですが、海水浴へ送るつもりで、ちょっとそこの抽斗《ひきだし》へ入れて置いた三百円の金がない――とまアそんなわけで、早速事件は警察へ移されたんです。
 警察では、最初ながし[#「ながし」に傍点]の空巣狙いと見当つけて捜したんですが、やがて出入りの商人が怪しいと云うことになり、坂本家へ出入りする御用聞きが、片ッ端から虱潰《しらみつぶ》しに調べられたんです。でその結果、いま云った、その神田の洗濯屋の外交員が挙げられたんです。
 もっとも、挙げられたと云っても、その洗濯屋が自白したわけじゃア決してないんですがね……なんでも、当人の云うところによると、むろん坂本家は取引先には違いないが、その日は寄らなかった。北島町へは行ったが、それは昼頃の事で、事件のあった二時頃には、蔵前へ行っていた、と云うんです。で、北島町のほうを調べてみると、確かに二、三軒の得意先へ、昼頃に寄っている事は判ったんですが、蔵前のほうは一軒も得意はなく、なんでも新らしく作ってみようかと思
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