》体を翻《ほん》するに多少の変格を敢《あへ》てしたるは、その各《おのおの》の原調に適合せしめむが為《ため》なり。
 詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山岳と共に旧《ふる》きものならむ。然れどもこれを作詩の中心とし本義として故《ことさ》らに標榜《ひようぼう》する処あるは、蓋《けだ》し二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢《こうし》とす。近代の仏詩は高踏派の名篇に於《おい》て発展の極に達し、彫心|鏤骨《るこつ》の技巧実に燦爛《さんらん》の美を恣《ほしいまま》にす、今ここに一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家これに観る処ありて、清新の機運を促成し、終《つひ》に象徴を唱へ、自由詩形を説けり。訳者は今の日本詩壇に対《むかひ》て、専《もつぱ》らこれに則《のつと》れと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情は寧《むし》ろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又|徒《いたづ》らに晦渋《かいじゆう》と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉|奇聳《きしよう》の新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦々たる古道の尽くるあ
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