波の鴎鳥《かもめどり》、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩枕《いはまくら》汚れし眼《まなこ》、洗はばや。

     *

噫《ああ》いち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯月《うづき》の贈物、われはや、既に尽し果て、
秋のみのりのえびかづら葡萄《ぶどう》も摘まず、新麦《にひむぎ》の
豊《とよ》の足穂《たりほ》も、他《あだ》し人《びと》、刈《か》り干しにけむ、いつの間《ま》に。

     *

けふは照日《てるひ》の映々《はえばえ》と青葉|高麦《たかむぎ》生ひ茂る
大野が上に空高く靡《な》びかひ浮ぶ旗雲《はたぐも》よ。
和《な》ぎたる海を白帆あげて、朱《あけ》の曾保船《そほふね》走るごと、
変化《へんげ》乏しき青天《あをぞら》をすべりゆくなる白雲よ。

時ならずして、汝《なれ》も亦近づく暴風《あれ》の先駆《さきがけ》と、
みだれ姿の影黒み蹙《しか》める空を翔《かけ》りゆかむ、
嗚咽《ああ》、大空の馳使《はせづかひ》、添はゞや、なれにわが心、
心は汝《なれ》に通へども、世の人たえて汲む者もなし。
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   嗟嘆《といき》      ステファンヌ・マラルメ

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静かなるわが妹《いもと》、君見れば、想《おもひ》すゞろぐ。
朽葉色《くちばいろ》に晩秋《おそあき》の夢深き君が額《ひたひ》に、
天人《てんにん》の瞳《ひとみ》なす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古《こけふ》りし花苑《はなぞの》の奥、
淡白《あはじろ》き吹上《ふきあげ》の水のごと、空へ走りぬ。

その空は時雨月《しぐれづき》、清らなる色に曇りて、
時節《をりふし》のきはみなき鬱憂は池に映《うつ》ろひ
落葉《らくよう》の薄黄《うすぎ》なる憂悶《わづらひ》を風の散らせば、
いざよひの池水に、いと冷《ひ》やき綾《あや》は乱れて、
ながながし梔子《くちなし》の光さす入日たゆたふ。
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物象を静観して、これが喚起したる幻想の裡《うち》自から心象の飛揚する時は「歌」成る。さきの「高踏派」の詩人は、物の全般を採りてこれを示したり。かるが故に、その詩、幽妙を虧《か》き、人をして宛然《さながら》自から創作する如き享楽無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。読詩の妙は漸々遅々たる推度の裡に存す。暗示は即《すなは》ちこれ幻想に非《あ》らずや。這般《しやはん》幽玄の運用を象徴と名づく。一の心状を示さむが為、徐《おもむろ》に物象を喚起し、或はこれと逆《さかし》まに、一の物象を採りて、闡明《せんめい》数番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。
[#地から1字上げ]ステファンヌ・マラルメ
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   白楊《はくよう》      テオドル・オオバネル

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落日の光にもゆる
白楊《はくよう》の聳《そび》やぐ並木、
谷隈《たにくま》になにか見る、
風そよぐ梢より。
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   故国      テオドル・オオバネル

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小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅葦増雲《パライソウ》。
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   海のあなたの   テオドル・オオバネル

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海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。
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オオバネルは、ミストラル、ルウマニユ等と相結で、十九世紀の前半に近代プロヴァンス語を文芸に用ゐ、南欧の地を風靡《ふうび》したるフェリイブル詩社の翹楚《ぎようそ》なり。
「故国」の訳に波羅葦増雲《パライソウ》とあるは、文禄慶長年間、葡萄牙《ポルトガル》語より転じて一時、わが日本語化したる基督教法に所謂《いはゆる》天国の意なり。[#地から1字上げ]訳者
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   解悟《かいご》      アルトゥロ・グラアフ

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頼み入りし空《あだ》なる幸《さち》の一つだにも、忠心《まごころ》ありて、
   とまれるはなし。
そをもふと、胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
   にがき憂《うれひ》に。
きしかたの犯《をかし》の罪の一つだにも、懲《こらし》の責《せめ》を
   のがれしはなし。
そをもふと、胸はひらけぬ、荒屋《あばらや》のあはれの胸も
   高き望に。
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   篠懸《すずかけ》      ガブリエレ・ダンヌンチオ

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白波《しらなみ》の、潮騒《しほざゐ》のおきつ貝なす
青緑《あをみどり》しげれる谿《たに》を
まさかりの真昼ぞ知《しろ》す。
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