たり、荊棘《けいきよく》路を塞《ふさ》ぎたる原野に対《むかひ》て、これが開拓を勤むる勇猛の徒を貶《けな》す者は怯《きよう》に非《あ》らずむば惰なり。
 訳者|嘗《かつ》て十年の昔、白耳義《ベルギー》文学を紹介し、稍《やや》後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上《うへのごとき》文人の作なほ未《いま》だ西欧の評壇に於ても今日の声誉《せいよ》を博する事|能《あた》はざりしが、爾来《じらい》世運の転移と共に清新の詩文を解する者、漸《やうや》く数を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全欧思想界の一方に覇《は》を称するに至れり。人心観想の黙移実に驚くべきかな。近体新声の耳目に嫺《なら》はざるを以て、倉皇視聴を掩《おほ》はむとする人々よ、詩天の星の宿は徙《のぼ》りぬ、心せよ。
 日本詩壇に於ける象徴詩の伝来、日なほ浅く、作未だ多からざるに当て、既《すで》に早く評壇の一隅に囁々《しようしよう》の語を為《な》す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きに傲《おご》る者なりと非議する評家よ、卿等《けいら》の神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新声の美を味ひ功を収めざるに先《さきだ》ちて、早くその弊竇《へいとう》に戦慄《せんりつ》するものは誰ぞ。
 欧洲の評壇また今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。仏蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。訳者は芸術に対する態度と趣味とに於て、この偏想家と頗《すこぶ》る説を異にしたれば、その云ふ処に一々首肯する能はざれど、仏蘭西詩壇一部の極端派を制馭《せいぎよ》する消極の評論としては、稍《やや》耳を傾く可《べ》きもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明|呪詛《じゆそ》の声として、その一端をかの「芸術論」に露《あらは》したるに至りては、全く賛同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は訳者の欽仰措《きんぎようお》かざる者なりと雖《いへど》も、その人生観に就ては、根本に於て既に訳者と見を異にす。抑《そもそ》も伯が芸術論はかの世界観の一片に過ぎず。近代新声の評隲《ひようしつ》に就て、非常なる見解の相違ある素《もと》より怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に「芸術論」の一部を抽読《ちゆうどく》して、象徴派の貶斥《へんせき》に一大声援を得たる如き心地あるは、毫《
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