う》を今の節奏《リトム》に移し合せて、歌い出た新曲である。これはいわゆる童蒙のためにもなろうが、原文の妙を解し得る人々のためにも、一種の新刺戟となって、すこぶる興味あり、かつ稗益《ひえき》する所多い作品である。音楽の喩《たとえ》を設けていわば、あたかも現代の完備した大風琴を以って、古代聖楽を奏するにも比すべく、また言葉を易えていわば、昔名高かった麗人の俤《おもかげ》を、その美しい娘の顔に発見するような懐しさもある。美しい母の、さらに美しい娘 O matre pulchra filia pulchrior (Hor, Carm. i 16) とまではいわぬ。もとより古文の現代化には免れ難い多少の犠牲は忍ばねばならぬ。しかしただ古い物ばかりが尊いとする人々の言《げん》を容《い》れて、ひたすら品《ひん》をよくとのみ勉め、ついにこの物語に流れている情熱を棄てたなら、かえって原文の特色を失うにも至ろう。「吉祥天女を思ひがけんとすれば、怯気《おぢけ》づきて、くすしからんこそ佗しかりぬべけれ。」予はたおやかな原文の調《ちょう》が、いたずらに柔軟微温の文体に移されず、かえってきびきびした遒勁《しゅうけ
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