つりが》かと想像してみると、昔読んだままのあの物語の記憶から、処々《しょしょ》の忘れ難い句が、念頭に浮ぶ。
「野分だちて、にはかにはだ寒き夕暮の程は、常よりも、おぼし出づること多くて」という桐壺の帝の愁《うれい》より始め、「つれづれと降り暮して、肅《しめ》やかなる宵の雨に」大殿油《おおとなぶら》近くの、面白い会話「臨時の祭の調楽に、夜更けて、いみじう霰《あられ》ふる夜」の風流、「入りかたの日影さやかにさしたるに、楽《がく》の声まさり、物の面白き」舞踏の庭、「秋の夜のあはれには、多くたち優る」有明月夜、「三昧堂近くて、鐘の声、松の風に響き」わたる磯山陰《いそやまかげ》の景色が思い出され、「隠れなき御匂ひぞ風に従ひて、主《ぬし》知らぬかと驚く寝覚《ねざめ》の家々ぞありける」と記された薫《かおる》大将の美《び》、「扇ならで、これにても月は招きつべかりけり」と戯れる大君の才までが、覚束《おぼつか》ないうろおぼえの上に、うっすりと現われて、一種の懐しさを感じる。殊に今もしみじみと哀《あわれ》を覚えるは、夕顔の巻、「八月十五夜、くまなき月影、隙《ひま》多かる板屋、残りなく洩り来て」のあたり、「暁近
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上田 敏 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング