な現象だと解釈すれば、あえて異とするにはあたらない。
ただ、なぜ特にそんな傾向の作品ばかりが現われたかという疑問に対しては、たぶん彼の環境がそうさせたのだろうと答えるほかはない。
山中はあまりに若くして監督になつた。周囲は彼に対してまずおもしろい写真を、しかしてかかる写真のみを彼に要求したにちがいない。
若い彼が一プロダクションの監督として、出発に間もないころを生きのびるためには、何としてもおもしろい写真を作るほかはなかつたろう。ところが幸か不幸か彼にはそうした才能があつた。かくて彼の才能は迎えられた。実際はかかる才能は彼の天分のほんの一部分にしかすぎなかつたのだが、周囲は(おそらくは彼自身も)それに気づかなかつた。彼の才能のある部分だけが拡大され酷使された。
そして彼は死んだ。
私の山中に関する感想はほぼ以上で尽きる。要するに彼のごときは(みな、他人ごとだと思つてはいけない。)才能ある人間が過渡期に生れたため、その才能を畸型的に発達させられた一例であつて悲劇的といえば悲劇的であるが、ちようどそういう時に出くわしたればこそ我々同時代のものは才気煥発する彼の一連の作品によつて楽
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