あげて映画芸術家の無能低劣のゆえに帰し、口を極めてこれをののしる人がある。
 ああ、古来他の責任を説くほどやすいことはない。それで物事が解決するなら私もまたよくそれをすることができる。すなわち、かくも無能低劣なる我々に映画を任せきりにして今まで省みようともしなかつたのはだれの責任であるかと。しかし、かくして互にどろの投げ合いをすればお互がどろまみれになるばかりでついに得るところはない。
 日本映画の進出に関する方策については今までにおびただしい議論がくり返されたが、私の見るところではだいたいにおいてそれを二つの傾向にわかつことができる。すなわち一つは特別にいわゆる外地向きの映画を企画製作すべしという意見。他の一つは、ことさらに外地向きなどということを顧慮せず、優秀なる映画さえ製作すれば、進出は期して待つべしとなす議論である。こまかく拾つて行けばなおこのほかにもいくばくかの意見があるであろうが、方針の根幹はおよそ右の二途に尽きるようである。
 順によつてまず最初に外地向き映画特製論を検討してみるが、ここでまず問題になるのはいわゆる外地向きとはいかなる謂かということである。論者は簡単にいう
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