優をだれさすな。カメラマンをだれさしても、照明部をだれさしても、俳優はだれさすな。
○いかなる演技指導もむだだと思われるのは次に示す二つの場合である。
一、俳優の芸がまったく可撓性《かとうせい》を欠いている場合。
二、俳優が自己の芸は完全だと確信している場合。
(以上のような実例はおそらくないだろうとだれしも考えがちであるが、既成スターの中には右の典型的な例が珍しくない。)
○可撓性のないものを曲げようとすれば、それは折れる。
○自分は健康だと信じているものは薬をのみはしない。自分は完全であると信じきっているものは決して忠告を受けいれない。
○演技の中から一切の偶然を排除せよ。
予期しない種々な偶然的分子が往々にして演技の中へ混りこむ場合がある。
たとえば俳優が演技的意図とはまったく無関係にものにつまずいたり、観客の注目をひいている俳優の顔に蝿がとまったり、突然風が強く吹いてきて俳優のすそが乱れたり、などなど、その例は枚挙にいとまがないが、要するにあらかじめ演出者の計算にははいっていない偶発的できごとは一切これを演技の中に許容しないほうがよい。ところが我々は実際において
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