飛んでしまうことさえある。

○演技指導における俳優と演出者の関係は、ちょうど一つの駕籠《かご》をかつぐ先棒と後棒の関係に似ている。先棒の姿は後棒に見えるが、先棒自身には見えない。

○演出者と俳優と、二つの職業的立場を生み出した最大の理由は、人間の眼が自分を見るのに適していないためらしい。

○俳優に対する演出者の強みには個人的なものと一般的なものと両様ある。個人的なものとはもっぱら演出者の個々の眼の鋭さに由来するが、一般的なものは、演出者がいつもカメラの眼を背負って立っているという職分上の位置からくる。

○カメラの眼の位置はすなわち観客の眼の位置である。

○演出者とは、一面観客の象徴である。

○どんなに個性の強烈な演出者と、どんなに従順な俳優とを結びつけても、俳優が生きているかぎり、彼が文字どおり演出者の傀儡《かいらい》になりきることはあり得ない。

○どんなに妥協的な演出者と、どんなに専横な俳優とを結びつけても、演出者が機械[#「機械」に傍点]を占領しているかぎり、俳優はいつまでも彼を征服することができない。

○どの俳優にでもあてはまるような演技指導の形式はない。

○演
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