いうことである。
 すなわち女優諸君が真に美貌に執するならば、そしておのれの持つ最も蠱惑《こわく》的な美を発揮したいならば、むしろすすんで眉を落し歯を染めるべきであるということを私は提言したいのである。

○女優は貝のように堅く口をつぐむ。そのわけはもちろん彼女たちが人間の顔をいかなる場合にも口を結んでいるほうが美しいように勘違いしているからだ。
(口を開かなければならないときに無理に閉じているのは必要のないときに口をあけているのと同じようにばかげたものだが――。)
 そこで我々は絶えず彼女たちの唇をこじあけるために、一本の鉄梃《かなてこ》を用意してセットへ向かうわけである。そうでもしないと彼女たちは堅く口を結んだままで驚愕の表情までやってのけようとするからだ。

○演技にある程度以上動きのある場合には、演出者は必ず一度俳優の位置に自分の身を置いて、実地に動いて見るがよい。それは人に見せるためではない。そのおもなる目的は俳優に無理な注文を押しつけることを避けるためである。演技のような微妙な仕事を指導するためには、終始おのれを客観的な位置にばかり据えていたのではいかに熱心に看視していてもどこかに見落しや、俳優に対する理解の行きとどかない点が残ってくるものである。しかもこれは自分で動いてみる以外には避けようのないことであると同時に、動いてさえみれば簡単に避けられることである。
 要するに我々は原則として自分にできない動きを人に強要しないことである。自分には簡単にできると思っていたことが、動いてみると案外やれないことは珍しくない。(この場合の動きの難易は技術的な意味よりもむしろ生理的な意味を多く持っている。)
 自分で動いてみて始めて自分の注文の無理をさとった経験が私には何回となくある。

○俳優の動きにぎごちない感じがつきまとい、何となく見た目に形がよくないようなときは、俳優自身が必ずどこかで肉体的に無理な動きや不自然な重心の据え方をしていながら、しかも自身でそれを発見し修正する能力を欠いている場合にかぎるようであるが、この場合も演出者が客観的にいくら観察していても具体的な原因を突きとめることはかなり困難である。しかし一度俳優の位置に身を置いて自分で動いてみると実にあっけないほど簡単にその原因を剔出《てきしゅつ》することができるものである。

○エロキューションの指導に
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