ルネ・クレール私見
伊丹万作
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前書
ルネ・クレールに関する一文を求められたのであるが、由来クレールに関してはほとんどもう語り尽された観がある。しかし考えてみると私には別な見方がないでもない。それを書いて見ようというのであるが自分の仕事のことなどを考えると気恥ずかしくてクレール論などは書けないのがほんとうである。今日はひとつ批評家になつて書いてみようと思う。
ルネ・クレールと喜劇
ルネ・クレールについてまつたく何も知らない人から「ルネ・クレールとはどんな人だ」ときかれたならば、私は「非常に喜劇のうまい人だ」と答えるにちがいない。
少しいい方を変えるならば、ルネ・クレールは私に喜劇を見せてくれるただ一人の映画芸術家だともいえる。
正直な話、私のクレール観は以上でおしまいなのであるが、これでやめてしまつたのでは『キネマ旬報』の印刷所がひまで困るだろうから、もう少しルネ・クレールをもてあそんでみるが、それにつけても
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