残念千万なのはルネ・クレールが日本の雑誌を読まないことである。

        ルネ・クレールとチャップリン

 ルネ・クレールとチャップリンとの比較はいろんな意味で興味がある。
 ルネ・クレールの喜劇の最も重大な意味は俳優の手から監督の手へ奪い取つたことにあるのだと私は考えている。
「ル・ミリオン」を見た時に私はそれを痛感した。こういう人に出てこられてはチャップリンももうおしまいだと。
 最後の喜劇俳優、チャップリン。最初の喜劇監督、ルネ・クレール。
 悲劇的要素で持つている喜劇俳優、チャップリン。喜劇だけで最高の椅子をかち得たクレール。
 ゲテ物、チャップリン。本場物、クレール。
 世界で一番頑迷なトーキー反対論者、(彼が明治維新に遭遇したら明治三十年ごろまでちよんまげをつけていたにちがいない)チャップリン。世界中で一番はやくトーキーを飼いならした人間、ルネ・クレール。
 感傷派代表、チャップリン。理知派代表、クレール。
 これでは勝負にならない。
 しかし、と諸君はいうだろう。チャップリンはいまだに世界で一番高価な映画を作つているではないか、と。だからしにせほどありがたいものは
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